0212_20190505133654355.jpg 0213_20190505133655e7a.jpg 0214_201905051336568c7.jpg 0215_2019050513365846d.jpg 0216_2019050513370054a.jpg 0217_20190505133702aea.jpg私見で言うならば、一介の人間がパチンコやパチスロで生計を立てる方法は3つしかないと思う。
1つはホールの従業員になること。毎月給料が支給され、店によっては住居まで面倒を見てもらえ
るので、最低限の生活は営めるだろう。
もう1つは、台のメーカーに就職すること。大手の社員ともなれば、そこそこ裕福な生活が送れる
に違いない。
そして最後の1つがパチプロになること、ではない。朝早く起きて新装開店に並び、釘を読んで、回転数をチェックし、かつ資金を管理するなんてことは普通の人間にはできやしない。
そう、最後の1つはゴト師になることだ。ゴト師とは、一言で言えば不正な方法で玉やコインを抜く人間を意味する。不正、という点が引っかかる人は多いだろうが、これもまたこの業界で確実に糧を
得る手段の1つだ。
中学卒業以来つい最近まで、常にパチンコ・パチスロのゴトで食べつないできた。とはいえ、それはゴト師グループの中心的存在にいたからというのではなく、流れに身を任せるうちにそうなってしまったというのが実状だ。単なるパチンコ好きの僕がいかにして悪事に手を染めるようになったのか。
町田市で僕は生を受けた。親父が小さな電気部品工場を営んでいたおかげで、幼少期より比較的裕福な生活を送れはしたが、それが裏目に出たのか、地元の公立中学に入学するころには、タバコとシンナーを少々たしなむ程度のちょっとした不良になっていた。
初めてパチンコ屋に入ったのは、ちょうどそのころ。当時、周りの貧乏連中の倍近い月額5千円の小
遣いをもらっていた僕にとって、パチンコという遊びはそれほど魅力的な遊びとも思えなかったのだが、付き合いでやってみたところ、その「ビッグシューター」という台は、どういうわけか簡単にVゾ-ンに玉が入り、小さなドル箱1杯分、約2千円が瞬時に手に入ったのだった。
こうなりや自制心の利かない学生が通い詰めにならないわけがない。学校へも行かず、昼過ぎに起きてはパチンコ屋に向かってコッコッと小遣いを稼ぐ毎日が始まった。
もちろん当時はこの世界で食べていこうなんて腹はさらさらなかったけれど、この世の中は働かなくても食っていけるんだとぼんやり認識し始めたのは確か。親が汗水垂らして会社を切り盛りしているというのに、息子がこれだから困ったものだ。
中学卒業時、渋谷でチーマーと呼ばれる愚連隊の活動が全盛で、僕も友人に誘われる形で、あるチームに属していた。ただ僕のいたチームは、何をするでもなく、ただ街中でだべってるだけ。抗争なんてカッコイイこともなければ、クスリをさばくこともない、いたって健全なグループで、しかも揃いも揃ってパチスロ好きという実に軟弱な集団だった。
その中の1人に、上野のパチンコ店にしょっちゅう出入りしている男がいたのだが、ある日、そいつが常連のおっさんにパチスロ必勝法の情報を売ってやると持ちかけられたとしゃべり出した。カツあげにも薬物にも縁のない我が軟弱チームにはおいそれと手の出せる金額ではないが、いつもコインを山積みにしているおっさんだから信用してもいいだろうとの提案が決め手となり、いつちよ乗ってみようとの結論が出た。普段はただまったりしているだけのひ弱なチーマーも、ことパチスロとなると恐るべき結束力を発揮する。パーティ券などというワケのわからないものをさばいてなんとか工面した僕たちは、いざ上野のおっさんの元へと出向いたのだった。
と、このおっさんが教えてくれた情報というのが、バカでもできるほど簡単な攻略法だった。
本来、スロットは3枚コインを投入してスタートレバーを押すのだが、おっさんのやり方はスタートレバーを押す瞬間に4枚目のコインを投入するというもの。タイミングが合えばこれだけで確実にビッグポーナス(大当たり)が来るというのだ。とても信じられないので、試しにやらせてみると、おっさんは難なく7をそろえてしまう。ひょっとしてあらかじめビッグを入れてあったんじゃないかと(パチスロには大当たりだけど絵柄が揃っていない状態というのがあり、これをビッグの入った状態と呼ぶ)、隣の台でもやらせてみたら、こちらもすぐにスリーセブン(777)。
僕たちは目を白黒させながら、さっそく上野の別の店で試してみた。と、これが出るわ出るわ。ピアスに茶髪の5人組だけが大爆発させている様は圧巻の一言だ。
その後も毎日のようにパチスロ台に向かい続けた僕たちチーマーは、各人それぞれ月に200万円ほど勝ちまくり、財布に万札釦枚ほどを忍ばせては渋谷で散財しまくった。この「4枚がけ」と呼ばれる方法は、コインセレクターという部品の異常によって可能だったらしく、僕たちが知ってから3カ月ほど経ったころにメーカーが気付き、全台回収の憂き目となる。しかしヨンチネンタル」がなくなっても食い扶持はなくならなかつた。上野のおっさんが次々に情報を売ってくれるからだ。
当時のパチスロというのは、簡単な方法で攻略できるものが多かった。「リノ」という機種には、精算ボタンを押しながらスタートボタンを押すポロリンセット(コインが1枚ポロリンと出てくる)
があったし、「スペーススペクター」や「スペースバトル」には、同じような方法で行うバフセット
(パフつと音がする)があった。
専門雑誌でその手の攻略法が紹介され、公になった時点で即使えなくはなっていたが、僕たちの耳に入ってくるのはその数カ月前。たんまり稼がせてもらうことができたのだ。しかし、我が世の春は長続きしなかった。パチスロが4号機と呼ばれる新しい基準に切り替わったことがきっかけだ。
4号機とは、射幸心の煽りを抑えるためにギャンブル性を低くしたもの。つまり大きく負けない代わりに大きく勝つこともできないようになったのだ。まあ、ただそれだけなら良かったのだけど、この4号掃機にはそれまでのような誰にでもできるような攻略法が一切通用しなくなったことが痛かった。僕たちは楽をして勝つことに慣れていたので、4号機用の技術を必要とする攻略にはどうにも馴染めなかったのだ。
ところが悪運は尽きず。ちょうどそのころ、都合よく、中学校時代の後輩の1人が「セットゴトの打ち子をやりませんか」と提案してきたのだ。セットゴトとは、台の裏にある正規ロムを、「ある手順で打つと大当たりが来る」という裏ロムに取りかえて不正に玉を出すことで、今までのスロットの攻略とは、方法が根本的に違う。
喜んで同意した僕は横浜のファミレスで、グループトップの面接を受けることになった。現れた主
犯格は、スーツ姿の男である。説明によれば、グループの大元がヤクザで、店のオーナーとつながりがあるとのこと。勝ち分の一部がオーナーに回されるため、税金対策として機能するわけだ。ただし、店長や従業員レベルの人間は一切このことを知らないらしい。茶色のロン毛にヒゲを生やしていた僕の姿を見て、男はまずヒゲを剃れと言う。
「お前、貧乏でヒゲを伸ばしてるよりは、ヒゲ剃って金になるほうがいいだろうよ」
「はい」
「あと、その頭も目立つから帽子をかぶれ」
「はい」
素直に返事をして、晴れて打ち子グループに迎え入れられた僕は、そのとき20才だった。さてこの打ち子のシステムだが、まず、どこでどう仕込んだのかは知らないが、裏ロムの入っているのは店にある全台の「大工の源さん」の中の8台。そのうち、打ち子が実際にゴトを行うのは1日につき4台のみだ。
当日の朝に「今日はこれとこれで行くから」と台番号が伝えられ、午後1時から5時の中番と、6時から10時までの遅番に分かれて打ちに行く。ただし、裏ロム台だからといって誰がどう打ってもジャンジャン勝てるわけではなく、打ち方に決まりがある。あまり詳しくは書けないが、中出目に「ヘルメット」が出たら打ち出しを止め、その後で2発だけスタートチャッカーに入れて…という複雑なもの。こうして初めて碓変が引けるのだ。碓変を自由に引けるのだから、その気になればいくらでも出せる。ただし、常連客や店員に怪しまれないよう金額にして6,7万円分でストップするのが決まりになっていた。中には、確変がいつまでも止まらなくて狸箱も出してしまった男がいたが、後でこつぴどく叱られていたようだ。このゴトは、途中で打ち出しを数十秒止めなければならず、かといって席を離れると不審がられるので、僕たちはハンドルを握る格好をしながらも手は触れないという姿勢で、その数十秒を凌いでいた。
勝った金は、駐車場で待っているトップの人間に持っていき、いくら使っていくら出したかを申請する。差し引き、すなわち純利益の3割が僕たち打ち子の収入だ。早番遅番2回入ると、だいたい1日で4,5万が手に入った。報告は自己申請だからいくらでも嘘はつけそうなものだが、トップとオーナーがツーカーなのでデータを照会されたら一発でバレてしまう。ある男は、8万円勝ったところを6万円と申請していたのが発覚し、差額の100倍、200万円を要求されたという。結局、ホール主任に発覚してロムが正規のものに入れ替えられるまでの半年間、グループ全体で抜いた額はおよそ1億円にまで上った。