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東京の専門学校を卒業し、20才の誕生日を迎えたばかりの夏。久しぶりに帰った田舎の実家で両親と3人で夕飯を食べていると、父親が唐突にその話をはじめた。
「康人、実はな、お前に言わなきゃならないことがあるんだ」
「なんだよ、急に改まって」
「康人、お前は本当の子供じゃないんだ。養子なんだよ。お前が1才のとき、施設から養子として引き取ったんだ」
「えっ? ちょっと、待ってよ、いきなりそんな。母さん、ホントなの?」
「どうしても子供が欲しかったのよ。でもできなかったの。それでお父さんと2人で色々調べて、結局、里親の制度を使うことにしたの」
 正直なところ、あまりのショックにこの日かわした会話はハッキリと覚えていないが、身体から血の気が引いていくのがわかった。目の前がグルグル回り、心臓のバクバクが止まらない。いつも穏やかで優しいこの2人の元で、俺は一人っ子として大事に育ててもらった。勉強部屋もあったし、十分な小遣いももらっていた。どこの子供たちと比べても、愛情を注がれて育ったと思っていた。でも実は養子だったって? たちの悪い冗談だろ? 
「前々から、お前が大人になったら言おうと思ってたんだよ」
 2人は今まで見たこともないような冷たい表情をしていた。まるで別人になったように、淡々と説明を続けていく。
「それで相談なんだが、籍をはずしたいんだ。もう大人になったんだから問題ないだろう?」
 当時、1才の俺を里親として引き取ったときの2人は、本当に子供が欲しかった。しかし、いざ俺を育ててみると、時折みせる気性の荒さに何度も驚いたのだそうだ。自分たちとは違う血筋、違う遺伝子を持った子供に不安を覚えながら、それでも1人の人間を養子にもらった責任から俺が大人にな
るまで投げ出さずに育て上げようと決めたのだが、俺が成人した今、籍を外したいということらしい。
「それでな、今までお前にかかったお金を計算してみたんだが、全部でおよそコレぐらいなんだよ」
父親が書棚から2枚の紙切れを取り出した。1枚は養子離縁届け。もう一枚は手書きの紙切れで、そこにはこれまでかかった養育費が細かく計算されていた。金額はおよそ300万円。養子縁組を解消し、今までの養育費を返して欲しい、というのが2人が俺に伝えたいことだったみたいだ。
「そんな…」
2人に対する怒りがふつふつとこみ上げてきた。なんで今さらそんなことを。金を返せなんていうなら最初から俺を引き取らなければ良かっただろ。俺はお前らに育ててくれと頼んだ覚えはないぞ!結局、そのセリフは2人には言えなかった。怒りを通りこして身体中の力が抜けてしまったのだ。優しいはずの父と母が、冷ややかな目でこっちを見ている。本気で言ってるんだ。こんなことが現実に起こるなんて。俺は2人に言われるまま、養子離縁届にサインし、養育費300万円を返すことに同意した。2人の一方的な言い分に納得したわけではないが、あまりの怒りに、もはや言い返す気力も失ってしまったのだ。東京へ帰る途中の電車で、何度も2人の言葉を思い出し、過呼吸のような症状に襲われた。その翌日、風邪をひいたと嘘をついて会社を休んだ。でも部屋の中で1人でいると、怒りで気が狂いそうになる。たまらず外に出て公園を歩いてみたが、少しも気持ちは落ち着かない。
 とりあえず役所に行って自分の戸籍謄本を確認した。「養子」の文字は本当にあった。心配そうな顔でこちらを覗きこんでいた窓口の担当者に相談したところ、俺のようなケースでは、産みの親がわかっている場合は元の苗字に戻るのが通常らしいのだが、捨て子だった俺は、親の名前も居所もわからないので戻るべき戸籍がない。
「こういう場合はですね、ご自分で決めた苗字を申請していただくことになると思うんですが…」
「すみません、もう結構です」
耐え切れなくなって途中で役所を出た。もう何もかもどうでもよくなってしまった。翌日、会社に電話して退社すると告げた。それからおよそ一週間、コンビニにご飯を買いに行く以外、一歩も外に出ず、部屋に引きこもった。勢いで会社を辞めてしまったが、十分な貯金があるわけじゃない。食費や家賃だって必要だし、あの300万円も返さないといけない。でも今は何もする気力が湧いてこない。家にいてもテレビの画面を一日中ぼーっと眺めているだけで、食欲もなく、コンビニ弁当一食で一日過ごすことも多かった。気が付けば家賃を3カ月滞納していた。不動産屋から連絡があり、今月中に支払わなければ出て行かねばならないらしい。一カ月分だけでも払えばよかったのに、結局それすらも面倒になり、数日分の着替えだけをバッグに入れて家を飛び出した。
 住む部屋がなくなって初めて気づいたのだが、自分の戸籍があやふやのままでは新しく部屋を借りることすらできなかった。少しだけ貯金が残っているので、そいつを切り崩して漫画喫茶やビジネスホテルに止まり歩く生活が続いた。こうして金は尽きた。俺は、以前住んでいたアパート近くの大きな公園に向かった。屋根付きのベンチがあるからあそこで寝泊りしよう。公園には数人のホームレスの爺さんたちがいた。彼らは期限切れの弁当を分けてくれ、早朝のコンビニの配送トラックからパンを盗む方法を教えてくれた。
「ニイちゃん、若いのに大変だな」
「ええ、はい…」
「どうして働かねーんだ」
「何もヤル気がなくて…」
それ以上の問いかけはなかった。ここではみんなスネに傷を持っている。事情は詮索しないのが暗黙のルールだった。公園生活が2ヵ月ほど続いたある日のこと、ベンチに座っていると、坊主頭の男が話かけてきた。
「お兄ちゃん、若いのにヒマしてんのかい?よかったら仕事手伝わないか。いい金になるぞ」
歳は40代半ばか。人相は悪く、大きなロゴマークが入った上下お揃いの白ジャージ姿。ヤクザなのは一目瞭然だ。
「どんな仕事なんですか?」
「興味あるならちょっとそのへんで話そうか。ジュースご馳走するからよ」
須藤(仮名)と名乗るその男は缶ジュースを飲みながら仕事の説明をした。
「要するに、クスリや大麻の運び屋よ。工場からまとまった商品を何ヶ所かに運んで欲しいんだ。もちろんちゃんとバレないように梱包してあるし、普通にしてれば警察に呼び止められることもないから心配ないよ。金は一回につき3万円払う」
両親(里親)には、気性が荒いと非難された俺だが、過去、違法行為に手を染めたことは一度もなかった。分別はちゃんと持って生きてきたつもりだ。でもこのときは、ヤクザの提案を拒む気は起きなかった。なにせ家族も戸籍もない、天涯孤独の身なのだ。失うものなど何もない。いっそのこと捕まってもいいとさえ思ったぐらいだ。何でもやってやる。それで金になるならそれでいい。翌日の昼過ぎ、男にいわれたとおり、茨城県の郊外にあるマンションの一室に向った。ボストンバッグを受け取り、都内で外国人と落ち合いそのバッグを手渡す。一言も言葉を交わすことなく、その仕事は簡単に終わった。須藤とはその後も週2、3回ほどのペースで落ち合い、クスリの運搬を何度か手伝った。
 ヤクザにいいように使われていただけのことだが、俺にはいい気分転換になったし、収入が増えたことで気持ちに余裕が生まれた。仕事をしているときは変なことを考えずにすむ。積極的に仕事をも
らうようになった。ある日、須藤が年配のスーツ姿の男と一緒に現れた。
「おお、キミかー。ホントに若いんだな。ちょっと話でもしようか。ウチの事務所のぞいてみるかい?」
人懐っこい笑顔の気のいいオッサンにしか見えないが、隣でかしこまっている須藤の様子から、男
が須藤の所属する組の上層部の人間だとわかった。男は組長さんだった。事務所のソファで、俺は路上生活にいたった過程を洗いざらい話した。
「そうか、それは辛かったろうな。でもな、親がいないからって自分を粗末にしちゃいけねえよ。ウチにはお前よりも悲惨な境遇の人間が大勢いるんだ。親に捨てられて絶望しても何も始まらないだろ。それでも生きてくしかないんだよ。名前なんてなくても、またつければいいんだよ。それで生まれ変わればいいじゃねえか、なあ。俺がお前の父親になってやるよ」
涙が止まらなくなった。絶望しても何も始まらない。そのとおりだ。俺はずっとその一言を欲していたのだ。この人に付いていこう、そう決めた。組長は俺のゴッドファーザー(名付け親)になってくれた。俺は●●組の新井康人として生まれ変わった。
組での俺は、闇金融でシノいでいくことになった。最初の数日は組長に言われるまま、兄貴分の須藤さんに付いて仕事の基本を学び、そこからは独力だ。今のご時世、客に強引な取立てをかますと、すぐに警察に駆け込まれるからとイモを引く同業者は多いが、俺はどこまでも強気で攻め続けた。何も捨てる物がなければ、他人にはいくらでも冷徹になれるものだ。
「山田さんね、こっちもそういう仕事だからさ、わかるだろ? 返してもらえないと大変なことにな
っちゃうよ?」
自分がヤクザになったと意識するだけで、自然と振る舞い方もそれっぽくなってくるのだから不思議なものだ。しかしこの仕事、ヤクザとしての強引な一面だけでなく、マメさと辛抱強さがなければうまく転がしていくことができない。例えば、多重債務者の名簿を元に朝から晩までひたすらテレアポしたり、催促の電話を入れたり、集金先では朝から晩まで債務者の家に居座ってみたり。日々の仕事は地味なものだが、やる気を出せば結果が付いてくるという面白みがあった。半年前まで塞ぎ込んでいた自分がウソのようだ。俺は一日たりとも休むことなく仕事に没頭した。ここまで仕事にのめり込めたのは、やはり両親に対する怒りと、路上生活の苦しみが強烈に記憶に残っていたからだ。そして何よりも、根無し草だった俺に居場所を与えてくれた親父さんに、恩返ししたいという気持ちが強かった。必死さが伝わったのか、3カ月が過ぎたころ、組長から1人立ちして事務所を持つことを許してくれた。さらに俺の下に4人の部下と、200万の元手も準備して。ほとんど死んだも同然だった俺がこうして調子に乗っていられるのは、全て兄貴分の須藤さんと親父のお陰だ。親父のためなら人も殺せるし自分も死ねる。本気でそう思えるまでになった。ヤクザのシノギなんてものは、頑張れば頑張るほど、危ない橋も渡らなくてはならない。毎日、警察の動きを警戒しながら、頻繁に事務所を変えなくてはいけないし、商売敵から顧客名簿を盗めば、命すら狙われる。それでも、まるで映画の中の主人公になったような気分だと毎日を楽しむ余裕を持てたのは、全てを失った経験があったからだ。
 順調に売上げを伸ばし、金回りが良くなると、今まで欲しいと思ったこともなかった高級外車や腕時計などの装飾品が手に入り、それが仕事へのモチベーションに繋がっていった。飲み屋の姉ちゃんたちに景気のいいとろを見せればチヤホヤしてくれる。学生のころから一度も女にモテたことがなかっただけに、世の中にこんなに楽しい場所があるのかと感動したほどだ。金があれば女が抱けることも知った。
こうして仕事が軌道に乗ってしまうと、今度は逆に、手にした金や地位、親父や組の仲間たちを失
うことが怖くなってきた。再び天涯孤独の身に戻るのは嫌だ。だからこそ、仕事に励んだ。闇金の仕事が俺に向いているのかどうかは未だにわからないが、結果として、現在俺は、3つの事務所を任されるようになり、売上金は1年で毎月ウン百万を越えるまでになった。
 今の俺に人が集まってくるのは、金と権力があるからかもしれない。でもどんな理由であれ、自分の居場所ができたことに本当に感謝している。ちなみにあの養育費300万は、封筒に入れて郵便受けに投げ入れた。裏面に「康人」とだけ書いて。