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JR石川町駅に降立った。ここから駅南口に出れば元町、下公園など横浜を代表する観光地へ、北
へ進むと寿町に行き当たる。つまり、ハソな世界とスラム同然の別世界が駅を挟で隣接しているのだ。これほど壮大な皮も他にないだろう。そんな感慨にふけりながら歩くことしば、松陰2丁目交差点を通過したあたりで並みがガラリと装いを変えた。道の両側にぎっしりと建ち並ぶドヤ(○荘など)の看板。午前中にもかかわらず、でにオープンしている無数のスナックや酒屋。そして、道端のあちこちでは男どが寄り集まり、缶ビールやワンカップで盛りを開いている。これですよこれ。このフリーダムな空気そがおれの求めていたものだ。ただひとつ、気になる点が。先ほどからにつく人間がことごとく高齢者で、若い男の姿がまったく見当たらないのだ。いや、そもそもこういう場所で20代の若者など滅多にいないものだが、30代や40代の層までほぼ皆無ってどういうこと? まるっきりジジイ天国じゃん。不思議に思いつつ、1軒のドヤに入った。とりあえず今晩の宿を決めて荷物を下ろさねば。
「一泊したいんですけど部屋空いてます?」
「は?ねえよ」
ぶっきらぼうな受付のオヤジに追い出され、次のドヤへ。しかし。
「1泊は無理だね。うちは長期滞在向けだから」3軒目でも、
「満室だよ!」
結局、6、7軒目のドヤでようやく部屋を確保できたものの、エアコン、テレビ付きの3畳間が1泊2500円と聞き、少し驚いた。ドヤってこんな高いものだっけ(西成では同条件の部屋の料金相場は1500円程度)? 漫画喫茶やカプセルホテルとたいして変わんねーじゃん。
首をかしげるおれに、受付のオッサンが眉をつり上げる。
「コトブキのドヤはどこもこんなもんだって。福祉で暮らしてる人ばっかりだしよ」
オッサンによれば、現在、寿町にある120軒以上のドヤには5、6千人の宿泊者がおり、その8割強が生活保護受給者であるらしい。ドヤは事実上、彼らの住居となっており、その宿泊費は横浜市が負担しているため、どこも料金設定が強気なんだとか。ふーん、ちゃっかりしてますなぁ。
「いまは日雇いの仕事もめっきり減ったからな。あんちゃんも見たろ? そこら中、福祉のカネで呑気に飲んだくれてるジッチャンばっかだよ」
さらに驚いたのは、部屋のカギをもらって館内に入ってからだ。通りかかった共有スペースで50代らしきオバチャン宿泊者4、5人が談笑しているではないか。粗末な身なりからしておそらく生保受給者なんだろうけど、まさか男天国が常識のドヤに女がいるなんて。何だかコトブキってところは、西成とはいろいろと状況が違うようだ。いったんドヤ街を出て、リサイクルショップで古着のスウェット上下とサンダルを購入した。街にすんなり溶け込むには、やはりナマポ(生活保護受給者の俗称)らしい変装がベストだろう。着替えを終えてコトブキに戻り、徘徊を開始した。あらためて思うのはこの街のいびつな光景だ。ドヤ、ドヤ、飲み屋、ドヤ、デイケア施設、飲み屋と、軒を連ねる建物があまりにも偏りすぎている。目の前の角を曲がってもその先にはやはりドヤ、ドヤ、飲み屋、そして電気店…。ん、電気店?違う。違法博打のノミ屋だ。間口いっぱいに開け放った入口に大型テレビが何台も並んでいるので、てっきり売り物と勘違いしてしまった。よく見れば各スクリーンに競馬、競艇、競輪の生中継が映っている。てか、何でこんなあけっぴろげに営業してんだよ!
ノミ屋はなかなか繁盛しているようだ。外から丸見えの店内をポカンと眺めている間にも、赤ら顔のジーサンやオッサンが次から次へと吸い寄せられるように入っていく。面白い。おれもいっちょ勝負していくか。店内に足を踏み入れた直後、いかにもソッチ系の強面オヤジ店員が足早に近づいてきた。「おめぇ、見ねぇ顔だな。何ウロウロしてんだよ?」
「え、これから遊ぼうかと…」
「あ? 遊べるわけねぇだろ。出てけよ、おら」
商売の性質上、一見客を警戒しているのかと思ったが、まんざらそういうわけでもないらしい。なぜなら門前払いを食ったあと、すぐに見つけた別のノミ屋にはすんなり入場できたのだ。ただこのノミ屋、賭けを受け付けているのは競輪と競艇のみのようで、素人のおれには予想の立て方がさっぱりわからない。とりあえずオッズ表を見ながら手堅い車券や舟券を買ってみるも、軍資金は目減りするばかりだ。うーむ。途方に暮れていたところ、いきなり関西弁のオッサンが話しかけてきた。
「お、おう、ちょ、ちょ、ちょ、調子はどや!」
何だろう、この人。えらいドモリのうえに、小石を口の中でコロコロ舐めてるんだけど。飴ちゃんの代わりか?
「いや、ハズレてばっかです。勝ってます?」
「ま、ま、まあまあや! い〜〜今も、ごごごご5レース、と、と、獲ったで。えへ、へへ」
ドモリのオッサンのポケットにはしわくちゃの千円札が大量に詰まってる。たしかに調子はいいみたいだ。負けもだいぶ込んできたし、いっそこの人の予想に乗っかってみるか。
「次のレース、買い目教えてくださいよ。もう自分の力じゃ勝てる気しないんで」
「え!」オッサンがキッと目を見開いた。ちょっとぶしつけなお願いだったかしら?
「え、え、ええよ!」ドモっただけかい!
「ほ、ほ、ほやけど、ワシ次で、か、か、か、か、帰るで! ひ、ひ、ひ、昼寝の時間やさかいな」
 ドモリ氏に教えられた2連単の舟券は見事的中した。12倍の配当に1千円突っ込んだので払い戻しは1万2千円。これでトータルマイナス1千円まで押し戻した。この調子でドンドン行きたいところだが、頼みのドモリ氏も帰ることだし、バクチはこのへんでやめておこう。
「勝たせてもらってありがとうございます。酒でもおごらせてくださいよ」
「か、缶コーヒー買うて。さ、さ、酒は、の、の、飲まへんねん」
「ところで何で石なんか舐めてるんですか?」
初っぱなから気になっていたことを尋ねると、ドモリ氏は困ったように頭をかいた。
「が、が、ガキの頃からの、く、く、クセやな。せ、せやけど、あ、あ〜アカンわ。は、歯ぁが弱なってもうてすぐかけるねん。み、み、見とけよ」
そう言って彼は口の中で「チッ」と音をさせ、手の平に数ミリ大の灰色のカケラを吐き出した。
「な? こ、こ、これやもん。も、もう歯ぁ、ぎ、ぎ、ギザギザやでホンマ」
歯のカケラを路上に捨て、ドモリ氏は缶コーヒー片手に帰っていった。なんだか、いろいろとスゴイ人だったな。夕方。コトブキの中心地、寿労働センター内の銭湯でひと風呂浴びた。さっぱりして外に出ると、街はどしゃぶりの大雨だ。この天気に街のジーサンたちも酒盛りをあきらめたようで、通りにはほとんど人影はない。と、そのとき、目を疑うような光景が。すぐ目の前のドヤに若い女らしき人物がスッと入っていったのだ。後ろ姿しか確認できなかったが、スウェットズボンにTシャツという出で立ちでスタイルは悪くない。あれもナマポのドヤ住人なんだろうか? マジ?適当に入った居酒屋で、隣のオヤジに聞いてみる。
「この辺りのドヤって若い女も住んでるんですか?」
「ああ、何年か前からたまにそういうのがコトブキに流れてくるんだよ。最近も2、3人見たな。どれも30前後くらいだったよ」
「やっぱ福祉とかもらってるんですかね」
「若いからどうだろうな。けど、よほどのワケありだよ。こんなとこに住みつくなんてさ」
ふいに店のママがオッサンに声をかけた。
「●●ちゃん、はやく出してよ」
「あ、悪い悪い。すぐ書くよ」
オッサンがメモ紙にいくつかの数字のようなものを書きつけ、慌ててママに渡す。どうやらギャンブルの買い目のようで、ママが客相手にノミ行為を働いているっぽい。よく見れば店内には、普通のテレビの他にもうひとつ、ボートレースを放映中の専用スクリーンが設置してある。いよいよ何でもアリだな。まさかこんな普通の居酒屋でもバクチが打てるだなんて。
半ば感心するおれをよそに、店の入口付近ではジーサン客たちが50代のおばさん店員を捕まえからかっている。
「おい、●美。ちょっとおまえ、アワビ見せてみ、アワビ!」
「そんな立派なもんありません。アタシのはシジミですから」
「おう、シジミもいいな。酒の後に最高よ、シジミ汁は。ちょっと吸わしてくれんか。なあ、おい。●美のシジミ汁ちょうだい」
何か感慨深いものが胸にこみ上げてきた。衣食住を保証され、生活保護で酒を飲みバクチに明け暮れ、医療費までタダのコトブキ住人たち。ある意味、そこらの年金暮らし老人より100倍幸せなんじゃないの?
2杯目の生ビールを飲み干したところで店を出た。外は雨あしが一層激しくなっており、日はとっくに暮れている。やや飲み足りない気分で歩きはじめた矢先、1軒のスナックが目に止まった。軒先には小ぎれいな感じの中年ママが寂しげに立っている。彼女からお声がかかった。
「ひどい天気ね。どう、1杯飲んでかない?」せっかくだし、ここにするか。
「じゃ、ちょっと寄ってくわ」
足を踏み入れた店内は10畳ほどの狭さで客はゼロ。奥のテーブル席に座ってウーロン杯を頼むと、ママも向かい側に腰かけた。
「この雨だから全然お客さんがこなくて参ってたの。ね、私も一杯いただいていい?」
ママの口から熟れた柿のようなアルコール臭が漂ってくる。こりゃすでにだいぶ飲んでるな。
「あ、いいよ飲んで。でも結構、酔っぱらってるんじゃない?」
「そうでもないよ。…はあ〜」
「どうしたの、タメ息なんかついちゃって」
「何でもない。人生って大変だなって思って。でもさ、明るく生きてればいいこともあるよね?」
「まあ、そうかもね」
「うん、そうよ。オニーチャン、良いこと言うね!」
いや、良いこと言ったのはあなたでは?その後30分、同じようなやり取りが何度も繰りかえされた。世間話の合間にママが急に落ち込み、そのつど自分で激励してはハイテンションに。で、またしばらくしてタメ息をつく。よほど嫌なことでもあったのだろうが、だんだん酔っぱらいの相手も疲れてきた。いい加減おあいそするか。ところが、ママさんが急におれの隣に移動してきた。お、なんだ?
「そう言えばお兄さん、こんないい男なのにコトブキに住んじゃうってかわいそうね」
そう言ってしんみりと手を重ねてくるママさん。
「ドヤにいるってことは独りもんでしょ?あっち関係はどうしてるの? いつも自分で?」
どうやら彼女、おれを独身のナマポか何かと勘違いしてるっぽいが、こういう展開はちょっと予想外だ。これ、明らかに誘ってるよな。ならば。
「そう、いつもひとりで処理してるから、ママさんのお手々でやってもらうと嬉しいかも」
「やだぁもう。ふふ。こうやってやるの?」
やだとか言っても全然そんな素振りはない。むしろ嬉しそうにズボンの上から股間をナデナデしてきたぞ。彼女、どう見ても50は超えてるものの、そこそこの美形だし、この際、贅沢は言ってられない。せっかくのコトブキでのハメチャンス、モノにしたいぜ。しかし、おれの意気込みは空振りに終わる。この直後、ママさんの携帯が鳴り、彼女が長々と話し込んでいる最中に数人の客が来店してしまったのだ。何だよもう!いったんドヤに戻り、思案した。一度盛り上がったセクシャル気分は容易には鎮まらない。では、どうするか。
コトブキ周辺には曙町や福富町といったフーゾク街が点在している。そこでヌクのももちろん、ひとつの選択肢だ。だが、おれにはある事柄がずっと心に引っかかっていた。そう、昼間見かけたあの若い女ドヤ住人だ。どうせカネを払って女を抱くなら、あの彼女にエンコーを持ちかけた方が興奮するに決まってるし、それでこそコトブキ1泊旅行もキレイに仕上がるというものだ。
問題はどうやって接触するかだが、作戦は一応ある。コインシャワー前での待ち伏せだ。コトブキのドヤには風呂がない。ドヤの隣、あるいはごく近所に設置されたコインシャワーを使うパターンがほとんどだ。そしてこの汗ばむ梅雨の時期、若い女であれば毎日欠かさず寝る前にシャワーを浴びるハズ。ということはひたすらコインシャワーの前に待っていれば、必ず彼女は姿を見せるに違いない。懸念材料があるとすれば時刻が午後9時を少し回っていることか。すでにシャワーを終えていれば完全終了だが、とにかくそこは運に任せるしかない。どうか、上手くいきますように!
依然と雨が降りしきる憂うつなコンディションの中、彼女のドヤ近くにあるコインシャワー前に足を運んだ。シャッターの閉まった商店の軒先に身を潜め、ターゲットの到来を待つ。
午後9時半。シャワー利用者の姿はパラパラ見受けられるものの、すべて男だ。あの女はまだ来ない。午後10時。この時間になると利用者はかなり減り、通りの人影もまばらに。…大丈夫か?それからさらに30分。いよいよ諦めムードが漂いはじめたところで、ようやく待ち人が現れた。昼間見かけたときにはなかった黒のカーディガンを羽織っているが、あのシルエット、髪型は間違いない。よし、いけ。
「あの、ちょっといい? 別に怪しいもんじゃないんだけど」「は?」
警戒心を露わに彼女が足を止める。間近で確認したその顔は団子鼻のややバタ臭い造りで、32、33才くらいに見える。
「ここのコインシャワー使わない方がいいよ。さっき変なジーサンが中でゲロ吐いてたから」
「…え、マジで?」
「マジマジ。だっておれ、そのジーサンの後にシャワー使ったもん。おまけにゲロ踏んじゃったし」
「はあ? ふふっ」
お、クスッとしたな。多少は警戒が解けたか。
「どうせならキレイな風呂でゆっくりした
ら? ここからちょっと離れたところにラブホテルあるし一緒にいこうよ。もちろん、お小遣いもあげるから」ようやくこちらの目的を察したのか、彼女が呆れたように言う。
「あのさ、そういうことしたいなら私じゃなくてよくない? フーゾク行けば?」
「いや、どうしてもキミがいいんだよね。お願い」
一瞬の間があった。
「…で、いくらくれんの? こんくらいは欲しいんだけど」
立った指は2本だ。おいおい、話がまとまりそうなのはうれしいけど、2万って。ドヤ住人のくせに欲張り過ぎじゃね? 1万で十分だろ。
「だってこの前声かけてきたおじーちゃんも2万くれたし」
「じゃイチゴーは?」
「うーん、まあ、いいよそれで」
ふう、交渉成立!コトブキ付近のラブホへ移動する道中、彼女(30才)に尋ねてみた。
「ところで、なんでドヤなんかに住んでんの?」
「親とか友だちとか、いろいろと揉めまくっちゃったんだよね」
詳しくは語ってくれなかったが、どうやら借金絡みのトラブルを抱え、千葉の実家から逃げ出してきたらしい。
「それからいろいろ転々として寿町に来たの。今はここから川崎のピンサロに通ってる」
ドヤに身を寄せる薄幸女を抱く。そんな密かな楽しみがもろくも崩れた瞬間だった。まさか現役のピンサロ嬢だったとは。ガックシ。こちらの落胆をよそに彼女が続ける。
「いま知り合いに捕まったらマジ命やばいんだけど、寿町にいたら絶対に見つからないじゃん?だから、まだしばらくはここにいるつもり」
命って。いったいアナタ、何をやらかしたのよ。望んだシチュエーションこそ叶わなかったものの、彼女とのセックスはそれなりに楽しめた。ワリキリにありがちなビジネスライクさはなく、特にたっぷり時間をかけて全身リップしてくれた点は賞賛に値する。満足感に溢れる一発だった。はぁ、すっきりした。翌朝、荷物をまとめてドヤを出ると、付近にパトカーが数台止まっていた。何事かと足を止めてみれば、取り巻く野次馬の中からこんな声が。
「部屋の酒を盗んだとか何とか言って、隣室のジーサンを刺そうとしたんだってさ。バカだな」
どこまで行っても濃すぎる街だ。もうゲップ出そう。