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カテゴリ:人生ドキュメント

男が女として生きる~性同一性障害・トランスジェンダーの生き方

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午前7時。目覚まし時計と一緒に起きて洗顔。化粧して9時前には会社に飛び込む。女子更衣室で制服に着替え、コンピュータ前に座ると、ちょうど始業の時間だ。
この建築会社で働き始め今年で5年目に入った。同僚の女子社員とランチを食べ、アフター5を過ごし、たまには旅行に出かける。その生活スタイルからすれば、ご平均的なOLと言って差し支えないだろう。
だが、私には誰にも言えない秘密がある。実は私、男なのだ。
物心ついたころから私の中には女の子の洋服を着たいという願望があった。母親や姉のスカートがうらやましく、学校に上がると女子のブルマーが履きたくてたまらない。
体操着入れから汗っぽいブルマーと上着を拝借。下着の上に身につけたときの興奮といったら…。
大学を卒大学卒業後、大手の建設会社に就職した。毎日、Yシャシにネクタイを締め、満員電車で通勤。ユミとも自然に付き合いが2年目になった。
ストレスで満タンになった私は、いても立ってもいられず寮を飛び出した。駆け込んだのは新宿の某
デパート。気が付くと女モノの服を買い漁っていた。
自室に戻り、その服を身につける。と、言いようのない恍惚感が体を襲った。
〈どうせ一度切りの人生だ、自分の好きなように生きなきゃな〉
開き直った私は女装に心血を注ぎ始める。通信販売で下着やカツラ、化粧品などを買いそろえ部屋にこもっては鏡の前でファッションショーの真似事をする。さすがにその姿で外にでる勇気はなかったけれど。
まもなく、女装者向けの雑誌が出ていることを知った。多くの同好者がいると心強くなる一方で、毎月、グラビアに掲載される女たちの写真を見て思った。
〈絶対、自分の方がキレイだ〉
さっそく撮影機材を買い込み、女の自分をせっせと投稿し始める。その写真が誌面に載ると嬉しくなる。
〈女装が好きだから女のカッコはするけど、別にオレはゲイってワケじゃない〉
その確信がガラガラと崩れたのは4才年上のサラリーマン、山下さんに恋をしてからだ。
女装交際誌の文通欄で知りあった彼は、女装男が好きなゲイだった。が、好きになってしまえば男も女も関係ない。
なんて偉そうに言っても、デート前の姿は誰にも見せられない。風呂に浸かって毛穴を開き、手、足、眉に脇、そして青々としたヒゲを毛抜きで1本1本抜いていく。そして真っ赤に腫れ上がったに
塗り込めるようファンデーションをはたく。いったい何時間かかっただろう。
つきあい始めて1カ月、旅先のホテルで初めて山下さんに抱かれた。もちろん、挿入するのはお尻の穴だ。
「力を抜いて」
彼が勃起した私のペニスをしごきつつ、アヌスに乳液をつけ周辺をもみほぐす。
「いくよ」
「ぎゃ」
男と男のセックスは知識として知ってたが、こんなに痛いものと陸早くイってくれと祈ってるうちに終了した。
しかし、慣れとは不思議なもので、2〜3カ月経つころには病みつきになるほどの快感に変わった。お尻でイき、同時にペニスから射精する瞬間は、男だったときの帥倍は気持ちいい。外見だけでなく、身も心も女になりたいと願うようになったのは、それからだ。
営業マンでは、自分せの時間が持てないと、会社を辞め、建築専門学校の講師に卜ラバーユした。
当時の私は、女性ホルモンを打ち始めたばかりで、胸もなけりやと顔形も男。女装姿で教壇に立てば
変態呼ばわりされるのは目に見えっている。あくまで男としての就職だった。
がが、週に2度のホルモン注射は、2年のうちに劇的な変化をもたらす。体のラインが丸みを帯びてぺチャンコだった胸が別のBカップになり、固い肌がボロボロ剥がれた。
〈最初から女として会社に入ればいいんだ〉
履歴書は「池田じゅんし」と平仮名表記し、性別を問う欄はノーチェック。これなら嘘をついたことにはならない。万一、性別を聞かれたら正直に「男です」と答えるまでだ。
前の勤務先に確認の電話を入れられてはやっかいだから、それなりのこじんまりした建設会社を選んで応募。果たして面接で性別のチェックはなく、私は見事に女子設計部に採用される。
「こんどこちらで働くことになった池田です」
「どうぞよろしく」
女子トイレや更衣室を案内してくれる課長さんは、私が男だなんて露ほども疑ってない。
それより最初のうちは、女の子と一緒に更衣室で着替えることに私の方があわてふためいた。女性ホルモンのおかげで睾丸は縮み、めったに勃起もしないが、下着姿の女性にソソられドキドキしっ放しだった。
やってみれば仕事をする上で、特に支障はない。まさか同僚に女装した男がいるなどと誰も考えるワケがなく、与えられた仕事さえきっちりこなせば、ノープロブレムだ。
「珍しい名前だね。誰が付けたの?」
時々こう聞かれることもあったが、
「父が男の子ほしかったみたいで」
と一言えばいい。誰もそれ以上、突っ込んで来ない。
ただ、社員旅行のときは困った。女のコたちと一緒にお風呂に入るわけにいかないのだ。そこでとりあえず今日は体調が悪いと伏線を張り、みんなで入るときはパス。こっそり隙を見て1人で女湯に行った。女性特有の会話も、しだいに慣れた。
「池田さん、急に来ちゃって。ナプキン持ってない?」
最初に声をかけられたときには、相当あせったが、今では「ごめん、今日は持ってないや」と、自然に口から出てくる。一度、「どうして、いっつも生理ないの」と突っ込まれたこともあったが、それもこう言えばOK。
「なんか、昔から不順であんまりないんだ」
もっとも、そんな言い逃れも場所が場所だと通用しない。側えば病院だ。保険証には男と記されているのに、病室に入ってきたのは髪の長いスカート。困った医者は聞く。
「ええと、あなたが池田潤史さん、ご本人ですか」「はい、私です」
会社の同僚は私が男だってこと誰も気づいてません
「--」これまで何人の医者を絶句させたことか。
いずれこうなると思っていた…
去年の秋、山手線で初体験の相手、ユミを見かけた。ちょっと老けたが、美形は相変わらず。座席に座る彼女の前に立ちじつと見つめたら、不審げな顔つきで見返してきた。
「オレだよ」「…え、もしかしてジュン」「どう?」「やっぱりね」
電車を降り、大学のころ2人でよく行った居酒屋に入った。
「いずれ、こうなると思ってたんだ。だってよく私にヒラヒラのミニスカートとか買ってくれたじゃない。自分で着たいんだろうなって思ってた」「そうなんだ」
話しているうち、急に男だったころが懐かしくなり帰りがけにホテルに誘った。
「よしとく。私、女と寝る趣味ないもん」
そのときは少しヘコんだが、ユミに振られたことで、やっと女としての自分に自信が持てた気がする★女性としての体を保つには、1本3千円以上もする女性ホルモン注射を週に2-3度(体質によって異なる)打った上、脱毛やエステにも通わなければならず、さらに性転換手術には百万単位の金が必要だ。昔はそれだけの費用を稼ぐには夜の仕事しかなかったのだろうが、いまは違う。私のように専門職を得て、それなりの収入を確保する道があるのだ。
例えば日曜日に人でごったがえす新宿に出かけると、あちらこちらに私と同種の女たちがいるのに気づく。ごく普通の髪型をした、どこにでもいそうな女の子たちは街中に溶け込んで、微塵の違和感も抱かせない。そう、女として生きる男たちは皆さんが思う以上に存在するのだ。だって私は、あなたの同僚かもしれないのだから。

華僑が参加する超高レートの麻雀大会に参加した俺

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サラリーマン年収620万。住居は費6万5千円のーDK。
取引先で知立合った27才の女性と結婚
そんなどこにでもいる男性が、過去一度だけ生涯最高のシビれる体験を味わった。
最上級の女と酒が揃った、超高レートの麻雀大会。その強烈な光景は今だ彼の脳裏に鮮明に焼きついているという。
きっかけは5年前、某流通グループを牛耳る男のー人娘サキと知り合いになったことだ。なれそめは意外にも町中でのナンパ。正直、不釣り合いも甚だしいが、彼の目と鼻の先に上流社会が近づいてきたことだけは確かだった。

日本一のドヤ街・西成に住んでみた

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死亡時に1億円が出る傷害保険に入れられた
午後3時、新大阪駅に到着。まずは『みどりの窓口』へ立ち寄り、帰りの新幹線チケットを払い戻す。出発前、T氏が「帰りのチケットは好きに使ってください」とオレに向けた笑みは、恐らくこういうことだったのだろう。まったくのスッカラカンじゃメシも食えない。とりあえずチケット換金で元手を作り、仕事で稼いだ金で帰りの切符を買い帰京する。なるほど、それが賢いやり方だ。払い戻し金ー万4千190円を財布に入れた後、電車を乗り継ぎ駅へ。交差点を渡ると街の雰囲気がガラッと変わった。西成の登場である。
ペッぺとタンを吐きながら歩く労働者たち。力ップ酒の自販機横に座り込む酔っ払い。潰れた店の前ではホームレスが丸まっているし、街全体に立ち便のアンモニア臭が漂ってる。野良犬も垂れ流し放題だ。覚悟はしていた。大阪へ向かう新幹線の中でキッチリ腹は括ったつもりだった。が、実際に足を踏み入れると、どうにもそのパワーに圧倒されてしまう。とにかく、今は宿を決めてしまおう。簡易宿泊施設、いわゆる“ドヤ“はいたるところに建っていた。最初にー泊ー千円の宿を尋ねる。
「すいません、部屋ありますか」「なんや、兄ちゃん東京モンかい。表の看板、見いひんかったんか。満室やで」
2軒目、3軒目も同じ調子で断られた。ー泊の相場はー千円ーー800円くらいだが、どこも想像以上に混んでおり、特にピンクビデオ上映中の札がかかっているドヤは壁夫に満室だ。とこか泊まれる場所はないものかと、さらに尋ね歩いていた、そのとき、「おいーオマエー、殴ってええかあー」突然の怒声に恐る恐る後ろを振り返ると、酔っ払いのオヤジがこちらを脱みつけている。なんじゃ、コイツ。目が完全にイッちゃってるじゃないの。身の危険を感じ、すぐ近くのトヤへ駆け込む。と、偶然、そこに空室を発見。料金は700円と格安である。よし、ここに決めよう。
あてがわれた部屋は、ーつのフロアを上下に仕切られた力プセルホテル方式の2階部分だった。垂直の梯子を使って出入りするのが面倒だが、部屋は想像以上に績麗で、テレビも設置されている。十分だよ、これで。安心して一息つくと、途端に憂畿な気持ちになってきた。オレは本当に西成で2週間も暮らすのだろうか。仕事が見つかったとしても、それがタコ部屋行きなんてことだったら、2度と帰って来れないかもしれない。女に押し潰されそうになりながら、どこかりか湧いて来る小さな虫を指でぶちぶち潰す。そして、そのままオレは深い眠りについてしまった。
ジリリリリリ2日目
14日早朝、けたたましいベルの音で目が覚めた。隣室の男が鳴らしてるようだ。腕時計を見ると、まだ朝の4時。まったくウルセーな、と廊下に出てみて驚いた。
多くの住人たちが歯を磨いたり顔を洗っている。そうか、みんな仕事に行くのか。いや、仕事を探しに行くのかもしれん。遅れてなるものか。オレは慌てて着替えを終え、外へ飛び出した。
作業服姿の男たちが同じ方向へ歩いていく。目指す場所は、西成のシンボルとでもいうべきあいりん労働公共職業安定所』(通称、センター)だc巨大なビルの前に、山のような醸
らを連れて行くのか、それらしきバンも4-5台停まっている。オレも職にありつけないだろうか。「にーちゃん、仕事なんかあらへんでえ」隣にいたオッサンが話しかけてきた。仕事がないってどういうことだ。
「あれ、見てみーな」オッサンが顔を向けた先には、仲間と談笑したり、ゴルフのスウィングで時間を持て余している手配師たちの姿か。確かに人を集めてる雰囲気はない。それでも、しばらく様子を伺っていると、数人の作業着男たちがー人の手配師に近寄った。
しかし、彼らは無情にも「あらへんあらへんーしつし」と、犬を追い払うような手つきで退散させられてしまう。この様子じゃ、センターを頼りに来たところで、仕事にありつける可能性は皆無。求人情報は、どこか別のところから集めた方がいいのではなかろうか。
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パニック障害という病気の生き方

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パニック障害という病気をご存知だろうか。何の理由も、何の前触れもなく、突然、死ぬのではないかという恐怖の底に人を沈める精神病のことだ。発作が起きると、心臓が飛び出すぐらいドキドキし、体や手足が震え、息苦しさや吐き気が襲う。
症状自体は10-60分程度で治まるものの、その苦しさたるや、まさに「地獄」である。いつ発作が起きるかわからず、外にも出られない。電車や車などに乗ることも、「恐怖」と感じてくる。そうしていつしか社会生活が営めなくなるのだ。何を隠そうこの私も、長年パニック障害を煩ってきた人間である。恐怖に耐えきれず、自殺を考えたことも二度や三度じゃない。
しかし、私は35才になる今日まで何とか生き延びてきた。それは病院からもらった薬のせいでも、自分の力で病気を克服したからでもない。皆さんは信じがたいかもしれないが~私はこのパニック障害者としての半生を、「女性」に頼ることで生き抜いてきたのだ。
付き合った女性はこれまで200人以上一結婚も3回。おまけに女がらみで、4年半も二刑務所に服役することになってしまった。もちろん、そんな話が読者の皆さんに簡単に理解してもらえるとは思っていない。がきパニック障害の苦しみは想像を絶する。
昭和41年、私は、東北の某有名病院に勤める精神科医の次男として生まれた。3代遡っても医者という、典型的なエリート家庭である。父の仕事のイメージのせいか、小学校時代は、よくイジメを受けた。人に脅え始めたのはこのころで、学校はもちろん、家にいても、いつ精神病患者が来るか(隔離病棟を脱走する者が多かった)とビクビクしていた。すでに相当追いつめられていたといってもいいだろう。
小学校4年のある日、それは何の前触れもなく訪れた。新校舎を建設中だった学校に漂うペンキの匂いを突然、怖いと感じた瞬間、冷や汗が流れ、ノドが渇き、猛烈な吐き気が襲ってきたのだ。10分ほど我慢するうち、どうにか、波は過ぎ去ったものの、肌で感じた「死」の恐怖はその後消えることはなかった。
始業ベルの音、先生からの質問など、あらゆることに恐怖を覚え、我慢をすれば、めまい、ひどいときは呼吸困難にまで陥る。しだいに私は学校に行くことに猛烈な恐怖を感じるようになった。
「何やってるんだ。早くしないと遅刻するぞ」
父が叱りつけても、布団にかじりついて離れない。
「じゃあ、これを飲みなさい」「なあに」「栄養剤だよ」
半信半疑、飲んでみると、不思議なほど心が安らいだ。仕事柄、我が子の症状を見抜いていたのだろう。後で聞いたところによれば、そのとき父が与えたのは、「セルシン」という強力な精神安定剤だったらしい。
以後、毎日欠かさずセルシンを飲んだ。小学校、中学校と、どうにか、,恐怖"に耐えられたのはこのクスリのおかげだろう。が、再び発作が起きる。めまい、動倖。症状は前より確実に悪化している。あまりの恐怖に、授業中、奇声を発し、教室から飛び出たこともあるほどだ。そんな私に好意を寄せてくれたのが、同級生のヨシ子である。
「ナニ落ち込んでるの。あんまり気にしちゃダメじゃない」「…うん」
「もし何かあっても、私がついてるから」
いつしか彼女の優しさに魅れ、自然と関係を持った。と、信じられないことが起きた。ヨシ子とセックスしたことによって、毎日のように感じ続けた死の恐怖が、にわかに薄らぎ始めたのだ。彼女と一緒だと、外にも平気で出かけられる。まさか女性がこんなに素晴らしいものだったなんてー私はョシ子が神に見えた。しかし、その安らぎも長くは続かない。
「私、東京の看護学校に行くの」「えー」「これでお別れだね」。
ボクも東京に行くー喉元までことばが出かかったものの、心に病を抱えた身、見ず知らずの土地で生活できるわけがない。しかし、このまま彼女を失っていいのか。私の病気をいやしてくれるョシ子がいなくなって、果たして生きていけるのか。悩みに悩んだ挙げ句、私は決断した。高校を卒業したら、ョシ子と一緒に上京する。両親は猛反対したが、決意は変わらなかった。
デートの最中発作に襲われて
昭和59年4月、東京での浪人生活スタート。両親から月に20万と精神安定剤を仕送りしてもらっての暮らしだった。危慎していた発作は当初まったく起こらなかった。東京だとどこに行っても病院と警察があり、心に安心感が生まれたのかもしれない。
先生から干渉されないぶん、予備校通いも苦にならない。初めての発作から8年、私はようやく平穏な生活を手に入れた。と思った矢先のことだった。
「ごめんね、私好きな人ができちゃった」「えー」
ずっと一緒にいてくれると約束したはずのョシ子が、突然、私のもとを去っていった。もともと男好きのする女、別の男に言い寄られても不思議じゃない。が、ドン底に突き落とされたのが私である。フラれたショックを見計ったかのように、発作が再発したのだ。身近に迫る「死」の恐怖に怯えながら私は考えた。新しい彼女を探そう。他の女が私をラクにしてくれるかどうかはわからないが、
「ョシ子がいることであれほど救われたのだ」
ここはとにかく女を作ることが先決だ。翌日、私は新宿病院の前に立っていた。いつ発作が起きてもいいよう、ナンパの場所を病院の近くに選んだのだ。最初に声をかけたのは、病院から出てきた20才ぐらいの女の子だ。
「すいません。ちょっとよろしいですか」「はい?」
止まった。いや、それより、自分が何の抵抗もなく女性に声をかけられたことの方が驚きである。「あの、実はボク、友達が少なくて。一緒にお茶していただけませんか」「…」
「ちょっとだけ、ちょっとだけですから」「でもお」
「お願いします」「じゃ、少しだけなら」
こうして私は彼女とお茶を飲み、アパートに誘い関係を持った。会ったその日のセックスとは出来すぎだが、彼女も単なる遊びだったのだろう、それから二度と連絡が取れなくなった。そんなもんか。しかし、私は明らかに自信を付けていた。自分にもナンパができるのだ。大半は遊びで終わるだろうが、いずれキチンとした彼女も見つかるはず。私は新たな生きがいでも見付けたかのように、それから毎日のようにナンパに励みだした。
が、私はすぐに自分に大きなハンディがあることに気づく。街でナンパして女が誘いに乗ってきたはいいが、その後の定番である居酒屋、カラオケ、ラブホテルに行けないのだ。理由は他でもない。そうした場所で発作が起きやしまいか、とてつもなく怖いのだ。そこで、会うなり自分の部屋に連れて行こうとする。
これじゃ女の方が逆に怖がるというものだ。それでも、どうにかこうにかー年で10人と関係を持った。しかもそのなかのー人とは彼女として付き合うようになった。が、その付き合いもたった2カ月で終わる。デートの最中、突然私を発作が襲い、それを見た彼女が恐怖して二度と会ってくれなくなったのだ。
百合という20才の女性と出会ったのは、2浪してようやく大学に受かったその年の秋のことだ。
例のごとく、部屋でセックスを済ませ、「付き合おう」とフッたところ、いきなり「ここに住みたい」と言い出した。「私ね、実家が長野なんだけど、コッチに出てきたいの」
聞けば、東京には仕事の関係で出てきただけで、近い将来、実家に帰るつもりだったらしい。…迷惑だよね一
「バカ言うなよ。良いに決まュてるじゃないか」
長らく探し求めた「側に居てくれる」女性。
私に断る理由などあるわけがない。同棲生活は、お世辞にも楽しいものとはいえなかった。狭い4畳半に2人暮らし。すぐに息苦しくなった。が、一方で発作の回数は減り、死の恐怖は確実に遠のいていった。やはり自分には女性が必要なのだ。そして半年ほどたって、彼女が妊娠。私は何の蹄踏もなく結婚を申し込んだ。
「…本当にいいの」「ああ、当たり前だろ」
2人の実家はどちらも猛反対だったが、籍を入れてしまえば、向こうも折れるしかない。出産を3カ月後に控えたある日、突然、妻が実家に帰ると言い出した。身寄りのいない東京で出産するのが不安だという。わかる気がした。「じゃあ、行ってこいよ」
妻を送り出すと、途端に猛烈な恐怖がせり上がってきた。今にも発作誠起こりそうだ。この地獄を救う方法はーつしかない。そう。ナンパだ。妻には申し訳ないが、背に腹は替えられない。一さっそく私は、愛の巣に女性を連れ込んだ。リスクは高くとも、ラブホテルを使うのが怖いのだから仕方がない。しかし、私にとって最大の誤算は、連れ込んだ女性(しかも3人)と付き合い始めてしまったことだ。性格止、遊びと割り切れない自分がいた。当然のように、出産を終えた妻にはすぐバレた。
「あなた、ナニ考えてんの」「・・ごめん」
「もう実家に帰るー・」「いや、もう一一度としないから勘弁してください」
「フザけないでよー」子供を連れ家を出ていった妻から離婚届が送られてきたのはそれから3週間後のこと。わずかー年の結婚生活だった。
離婚後まもなく、私は大学を中退、父の経営する精神病院(開業医になっていた)を手伝うことになる。仕事は経理を任された。地元に戻っても、私の女狂いは収まらなかった。ーカ月に5回ほど街に繰り出し、その一つち半分はお持ち帰りしたろうか。もちろん肩た女にはすべて「付き合おう」と真剣な顔をして見せた。ただ、警察も病院もないド田舎では、自然と狙う女性も変わってくる。まず第一に、ー人暮らしの女性じゃないといけない。門限を優先される(田舎の場合、厳しい親が多い)と、こちらが受ける精神的なダメージが大きい。病院の側に住んでいることも絶対条件である。じゃないと怖くて相手の家に長居していられない。
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チェンマイで中出し3回戦・まだまだ現役絶倫エロ爺さん

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今回の大口さんは73才のいまも現役のミュージシャン。半世紀に及ぶ音楽家生活をきわめるべく、哀
秋)のトランペットを…吹いてない。歌である。幼いときから憧れた歌手としてメジャーになるべく、精力的な活動を開始している方なのである。
ここまでは、事前にわかっていた。だから、ぼくとしては歌にかける意気込みあたりかり切り出し、調子が出てきたところでスケべ方面に、と練っていたのだ。しかし、いつものことだが、ぼくごとき若造のプランなど、じいさんには通用しない。今回もまた、完全に相手のペースでインタビューは始まった。
チェンマイで中出し3回戦
●電話で話したときから思ってたんですが、さすがにいい声ですね。
〇(質問を毎視し)友だちからタイに行かないかと誘われてね。ひとりで行くより、ふたりで行くほうが得なんだって。
オガタ(編集部)そういう友だちなんですか。
〇男友だちですよ。古い知り合い。
●悪さしに行ったんでしょ。
〇ウフフ、したっちゆうほどでもないけど。
●最初から女目当てで。
〇いやいやあ、知らなかったんですよ、そんな。遺跡とかいろいろございますんでね。じゃあ行こうかと。バンコクはいいものがありましたよ。うーいろいろね、古いものね。エメラルド寺院ってのはよかったねえ。
●エメラルド、ですか。の手月い宮殿で、それがきれいだったね。それからチェンマイに行ったの。川を船で下ったりなんかした。ガイドがいるからほら、全部案内してくれる。オガタいいところでしたか。
〇チェンマイは山奥。少数民族のところに行ったり、絹織物の工場とかまわったですねえ。で、ついにガイドさんから「いいとこいきますか」と話があったわけです。
オガタ大口さんとしてはタイに行くと決まったときから、そういう気持ちはあったわけですよね。
〇ふは、ふはは。まあバンコクでもチャンスがあればと思ってはいたんだけど、気持ちに余裕がないわけだ。ね。でもチェンマイのときは少し慣れてきたし。朝まで1万51円。ほんでね、タクシー乗って、どこの国でもタクシーの運転手はそういうの詳しいね。ふたりで行ったんですよ。そしたら、ズラーっと女のコが30人か40人並んでるんですよ。
●自分の好きな女性を選べるやつですね。胸に番号札がついてたりする。
〇そうですそうです。はっは。
オガタ誰にするか迷いましたか
〇そう、迷っちゃってねえ。である女性を。
オガタはあ?
●やはり若いコがお好みですか。
〇そりゃねえ。あのコは24とかいったかな。ホテルに行って、お茶でも飲んで部屋に入って。で、ね。
●即、コトに及んだと。
〇それでなかなか眠れないわけだ。ね。ね。そこで、まあ、ハハハ。
●あ、2回戦目に突入ですね。
〇チップ払わなくていいとガイドに一」旨われたけど、朝の4時までハッスルしちゃったもんで、5千円あげたの、ワハハハハ。
●4時までって、めちゃくちゃがんばりましたね。
〇3回半ですか。けっこう、女のコもハッスルしてくれましたねえ。
オガタ外国でというのが興奮を呼ぶんですかね。
〇言葉つうじないからやるしかないの。ウハハハハ。(ひたすら笑い続ける)
●しかし、素晴らしい体力ですね。驚きます。
〇モト取らなくちゃと思ってさ。遊んだのは一晩だけでしたけどね。いやー、外国は初めてだったけど、良かった。今度、韓国に行こうかと思ってるの。

タィ旅行の際、チェンマイの娘たちと。現地で幅を利かせる遺り手の商売人に見えなくもない
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国税局の脱税摘発に明け暮れるマルサの男

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誰もに納税の義務がある。脱税行為を働けば処罰は免れない。にもかかわらず法を犯す者は後を断たない。なぜこうも企業ばかりが新聞を賑わすのか。答は言わずもがな、国税局の法人調査官が常に目を光らせているからだ。こういうとすぐに「ああ、マルサのことだろ」と思われるかもしれない。
伊丹十三の大ヒット映画マルサの女はマルサの存在を世に知らしめた。が、法人調査官はマルサではない。法人の脱税摘発という目的は同じでも、マルサが対象とするのは脱税額が5千万を超える悪質な企業。調査官の調査をもとに裁判所から礼状を取り、強制捜査に踏み込むのが主な仕事だ。スーツ姿の男たちが段ボールを運び出すシーンはもはやお馴染の光景といってもいいだろう。
私が国税局の法人調査官に成りたての昭和60年当時、マルサの存在はほとんど世に知られておらず、それが映画が公開されるや「マルサなんですね」と声をかけられるようになった。当初はその都度、「私は法人調査官といって・・」といい直していたのだが、すぐにやめた。
脱税摘発に明け暮れる法人調査官としての日常は映画の宮本信子そのもの。そう、私はまさにマルサの男だったのだ。
昭和59年春、私は国家公務員1種の他に、国税専門官採用試験(要は国税局の入局試験)を受けようと考えていた。試験は一般常識と知能試験、論文の3つである。公務員丑種とレベルは変わらない。合格する可能性は十分とみた。果たして半年後、無事に試験をクリア。事前に解いた問題集がたった2、3冊なのだから、もう楽勝である。
が、これがいいのか亜心いのか。税金の知識もなければ興味もない。そんな人間が国税局などに勤めてよいものだろうか。今さらながら不安に襲われる私であった。昭和60年西日本の某国税局に採用され、まずは千葉の船橋にある税務大学校で3カ月間、研修を受けることになった。ここで適性を見極められ、配属先が決定されるのだ。国税局の数は札幌かり沖縄まで全部で12。法人課や酒税課、査察課(これが通称マルサ)など11のセクションに分かれ、さらにそれと横並びする形で税務署が置かれている。税務署も同じく11部門あり、新人はこのいずれかに振り分けられることになっていた。
配属先が決められるとなったら講義も真剣に受けなければ。と、構えていたら何のことはない。教官は「摘発のノウハウは結局、実践で学んでいくしかないから」と一般論しか教えてくれない。居眠りしててもお構いなしだ。緊張は一瞬にして解け、講義が終わると毎日のように遊びに出かけた。気分はまんま大学生である。
「おい、大村」担当の教授に呼び出されたのはそんなバラ色の研修生活が終わる直前の6月下旬のことだ。
内密で配属先を言い渡される
税務署は最初に配属で一生が決まるといわれで最悪なのは"国から雇われた借金取り"と言われる徴収部門。税金を払えない人間から金を取るというのはどう考えてもキツイ。ここだけはどうしても勘弁しでもらいたい。
「こっちへ」担当教授の部屋に入り、直立不動で次の一=量を待った。「君はここね」教授が紙を取り出し私に渡す。
「税務署法人」ョッシャー私は思わず心の中でガッツポーズを決めた。法人部門は会社の脱税を摘発する国税の花形。最も希望者が多い都門なのだ。徴収に回された女性の中には泣き出す者もいたぐらいだから、ラッキーとしかいいようがない。
もしかしてワイロを受け取ってるんじや…
100人とわりと小規模なT税務署の官社は2階建てのオンボロビルだった。署内の壁にはあちこちにヒビが入り、黄ばんだクリーム色をしている。初出社当日、まず総務へ顔を出すと、次に署長室へと案内された。ソファの上には他の同期がすでに3人。緊張した面持ちで座っている
こちらでお世話になります大村です」間もなくやってきた署長に辞令を見せながら挨拶すると、すぐさま配属先の法人部門へ移動。部門の長である西村統括官(仮名)に引き連れられ、今度は署内の各部門へ挨拶回りとなった。「法人部門に配属されました大村です。よろしくお願いします」位牌を掲げるような格好で辞令を持ち、10数回同じセリフをひた繰り返す。その後は歓迎会でしこたま酒を飲まされー日が終了した。
翌日は朝8時30分に出社。まずはお茶の入れ方や机の拭き方を先輩に教わった。税務署は上下関係が非常に厳しい、と研修時代に散々聞かされていたが、実際その通りである。新入りは雑用の一切をこなさなければならない。最初の仕事は、私の所属する法人調査第三部門9人の席地図を作り、人物の特徴を書きこむことだった。雑用に明け暮れ約ー力月。8月下旬になって、ようやく西村統括官から仕事らしい仕事を言い渡された。
「それじゃあ大村くんは、吉川調査官(仮名)について、基本を覚えてくれ」話によれば、新人はまず先輩の調査に同行し、実践を積むのが慣例らしい。
「よろしくお願いします」「じゃあ、行こうか」記念すべき初調査先は塗装業者だった。自宅を改造したような会社の前に先輩と立つと、途端に心臓がバクバクしてくる。
「税務署の吉川と申します」2うぞ、どうぞ」夫人に案内され奥の部屋へ。中ではすでに社長と顧間税理士が待っていた。
「よろしくお願いします」
先輩が社長と税理士に挨拶し、名刺を交換する。それにならって私直琢拶。さあ、いよいよだ。と、身構える私をよそに吉川調査官は、お茶港すすり世聞話を始
める。10分、20分。いっこうに終わる気配がない。何なんだ、この雰囲気は。手始めに事務室の机や金庫の中を調べるはずじゃなかったのか。世間話が30分を過バたころ、ようやく吉川さんが口を開いた。
「じゃあそろそろ始めようか。大村君は、帳簿の中にある請求書と領収書の照合をして」「えっ」「はい、コレね」「いや、あの・・」
とにかく言われた通りにするしかない。10分、20分、・・40分。ひたすら電卓存叩き計算を重ねていく。結局、初日は午後4時までこの作業が続き退散となった。
翌日も、その翌日もまた同じことの繰り返し。拍子抜けするほどあっけない。って、もしかして・
私は疑心暗鬼に陥った。世間から忌み嫌われる税務署がこんな弱腰でいいワケがない。なのに吉川さんは終始ノンビリしている。ひょっとして追徴課税を見逃すかわりに、袖の下を受け取ってるんじゃないのか。心配になり、他の先輩調査官にそれとなく尋ねてみると,「アイツはいつもあの調子だから。お前も自分で勉強した方が身のためだぜ」
が、納税者とシビアなやり取りを強いりれる調査官の優劣は、往々にして知識でなく押しの強弱で決まる。図々しい性格でないと勤まらないのだ。吉川さんじゃ、不正なんかとても見つからないだろう。ちなみに、調査官が一通りの仕事を覚えるのに必要な年数は1~2年と言われていた。それだけで仕事を覚えられるとはなんて楽な職業だ。最初はそう思ったが、逆にその期間内で使い物にならなければ、何年頑張っても同じ。努力や知識より、先天的な要素が求められる厳しい世界なのだ。その後、私は5件ほど先輩と一緒に回ったが、ついに大きな不正を発見することはなかった。
古びた大学ノートに顧客リストを発見
10月上旬、いよいよ単独で税務調査に乗り出すことになった。管轄内の企業数はおよそ3千。黒字企業はその3分のーだ。脱税を摘発するのだから、対象は黒字ー千社の中から選ぶことになる
私は手始めにH建設という10人未満の会社に狙いを定めた。大工の棟梁が弟子数名を社員にした家族企業である。前回の確定申告では年商ー億円、利益30万円、法人税はたった10万円しか納めでいない。おそらく申告漏れが見込めるんじゃないか。上司は私にそんなアドバイスをくれた。電卓、ふせん、調書の用紙、ホッチキス、調査先の資料、税法の解説書、書きやすいボJルペン。調査官の七つ道具をケースに詰め、いざH建設を訪間。そこで私を待ち構えていたのは社長、税務署長出身の大先輩税理士、そして山のような帳簿。初っばなから、国税が相手とは。
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