0178_20181223195601a71_20191019231423790.jpg0179_201812231956036d4_20191019231425302.jpg0180_20181223195604968_20191019231426b7f.jpg0181_201812231956051ec_20191019231428220.jpg0182_2018122319560714f_201910192314291de.jpg0183_20181223195608fb2_201910192314318f7.jpg0184_20181223195610f5c_20191019231432d69.jpg0185_20181223195611d61_20191019231434bb0.jpg「お前はもう学生じゃない。勝手にしろ」と怒鳴られた。
聞けば、いつ帰るかもわからないオレのために何十万もの授業料は払えないと大学に退学届けを出
し、アパートも引き払ったらしい。済まない気持ちもあったが、一方でサッパリしたのも確かだ。
寿司屋やラーメン屋などで働きながら、ニューヨークに着いたのが翌年の1月。街中を歩き回ると、
小さな花屋がオレを雇ってくれた。店主の中野さんは5年前に単身渡米、アメリカ人の奥さんと一緒に店をオープンしたばかりだという。異国の地で自分の城を構える。そんな人生も悪くないなと思ったが、その店は2カ月もしないうちに潰れてしまった。「やっぱ甘くないな」
厳しい現実を前に気弱になったオレは、1年遅れのホームシック。新しい働き口を探さず、即行で帰
国することにした。
ショックだった。自力で生きていくなんてカッコつけても、やっぱり心の奥では甘えていたのだ。何もする気になれず、札幌に出て飲み歩いた。アメリカで稼いだ金を元手に、昼はサウナで寝て、夜はキャバレーへ繰り出す。そんな生活を1カ月も続ければアッという間に金はなくなり、仕方なく、行きつけのキャバレーの黒服に薦められるまま、その店で働くことにした。週8万という給料に加え、寮があることと、仕事の前後に2回もメシが出るというのが魅力的だった。仕事はホステスのサポートで、客を席に案内したり、おしぼりや注文の品を運ぶこと。店が立て込むまでは外で客引きの他、女の子のスカウトもやる。身体的にはキッかつたが、居場所ができてホッとしたのが正直なところだ。そうこうするうち、バブルの時代に突入。仕事は変わらないのに、給料の他、日に5万のチップ
が入ってくるようになった。今でも不思議だが、店に来る客は本当に金を持っていて争うように使っていた。例えば「タバコ買ってきて」と万札を出して、セブンスター1個を自販機で買って帰ると「釣りは取っとけよ」。かと思えば、機械的に女の子を振り当てているだけなのに、帰り
がけに「いい子を付けてくれてありがと」とチップをくれる客もいた。
いちばん金になったのは、「今日、いいコいる?」と耳打ちしてくる客に「アサミちゃんとレイコさんがOKです」などと教えてやることだ。いいコとは、店外に連れ出してやれる子という意味で、1〜3万の仲介料が入ってきた。ただし、その手の情報は当の女のコたちと仲良くならないとつかめない。そのため相談に乗ったり誕生日にプレゼントを贈るなどした。オレは中肉中背で顔も悪いわけ
じゃないが際だってよくもない。ウリは慶応大中退とい肩書きだけ。ただ、マメさにかけては自信があったので、他人と一味違うアプローチで迫った。例えば、何げにそのコが欲しがっているモノをリサーチし、客に「あのコはヴィトンのバッグがほしいそうです」などと教える。いきなり欲しかったモノをプレゼントされて喜ぶ女と、それを見て満足げな客。結果、「あの黒服が教えてくれたんだ」と財布を傷めることもなくオレの株も上がる寸法だ。女はそういう仕掛けに弱いもの。オレはいつの間にか店で1番のボーイになっていた。となると、寮で寂しく1人寝などしてるヒマはない。3カ月でオン出て女のところに転がり込み、以後、自分の部屋を持たず転々とする生活が始まった。水商売で肝心なのは女の子の扱いだ。元々その才覚があったのか、オレは3年足らずのうちにススキノに福永ありと言われるようになり、オーナーが店をひとつ任せるとまで言ってきた。
その店は会社の重役級が常連の、席に座っただけで4万はするクラブで、ススキノでも評判の高級店。外車を乗り回し、高級ホテルを泊まり歩く。同年代の大学生が逆立ちしてもできない暮らしを手に入れた。なんせ、当時はいつでもやれる女が50人はいたと思う。大げさなと思うかも知れないが、これでも遠慮した数だ。というのも、スカウトのためいつも店外で他の店の子たちに声をかけていたからススキノ中のホステスと顔馴染み。21才の若さで店を任されたのがウワサになり、自然と女が寄ってくるようになったのである。
人生、まさにバラ色の日々。が、バブルに浮かれている間に破滅がすぐ側に忍び寄っていた。客から金を巻き上げようと他店で人気の子を引き抜きにかかったら、これが完壁、裏目に出たのだ。金にものをいわすエゲツないヤツと評判を落としたのに加え、金に釣られて集まってきた女は質が悪い。いままで客に「いい酒を飲ませてもらったよ」と言われた店が、「2度と来るもんか」と捨てゼリフを吐かれる始末。この世界で一度信用を落とせば、どこにも使ってもらえない。もう足を洗うしかないだろ語恥せめて、オーナーがクビを言い出す前に自分から辞めるとしよう。
「オレがいると店の信用も落としますから」
そう申し出たオレに、オーナーが礼を言ってくれたのがせめてもの慰めだった。いまはどこの飲み屋も会社組織が当たり前だが、そのころは雇用契約なんてものはなし。当然、辞めても一銭の退職金も出ない。身を寄せていた7つ年上のホステス、アケミのヒモ生活が始まった。が、人間ヒマがあるとロクなことはしでかさない。仕事のないオしは、ギャンブルにどっぷりハマってしまった。いや、ヒマなせいで誘われると店終わりでモグリのカジノバーに顔を出すようになっていたのだ。普通のカジノでさえ、一晩、何百万の金が動く。それが深夜ドアを閉めて行われるカジノである。簡単に百万2百万の金が消えたと思えば、4,5百万がボンと入ってきたりする。金と女に不自由しなくなったオレが、そんなヒリヒリするような瞬間を求めたのを理解してもらえるだろうか。
だが、ギャンブルで収支がプラスになるはずがない。水商売で貯めた金は店長時代に底を付き、無職となったときにはアケミに金をせびるようになっていた。
「面倒見てくれって言うならそうするけど今のうちに何とかしないと、あんたダメになっちゃうよ」
アケミの声も耳には入らなかった。昼ごろ起きて競馬の開催があれば馬場へ、なければパチンコにゲーム喫茶。夜になるとヤクザが仕切ってる賭場やカジノに顔を出す。アケミにもらう小遣いじゃ足りず、オレに気のありそうな女に連絡を取っては「いま困ってんだ」と借りて歩いた。少ないヤシで5,6万。中には200万出してくれたコもいて、800万ほど借りただろうか。なのにそれでも足らずサラ金に手を出すようになっていたのだ。もう、ダメ人生の典型である。しかしサラ金はその名のとおり、働いている人間にしか貸さない。無職のオレに貸してくれるのはせいぜい30万が限度。武富士に始まってアイフル、アコム、プロミスなど十数社回っても200万余りにしかならない。万策尽き、カジノで知り合ったチンピラのツテで幽霊会社の経営者に名義を貸してもらい富士銀行に「事業展開をしたいから」と、融資を申し込んでみたこともある。サラ金でさえ貸してくれないのに何をバカなと思ったが、そこがバブルだった。ロクに審査せずに「いいですよ社長さんなら」と、ボンと300万貸してくれたのだ。その金でサラ金の借金を整理すればいいようなもんだが、儲けて返そうという頭しかないから、これも1週間で消滅。気づけば利息が利息を呼び、月に10万以上の返済が待っていたのである。
それでもオレは博打を止められず、ある日、アケミにもらった金をパチンコでスると、賭場に行く金を調達するためヤクザ金融の門を叩いてしまう。当然、返すアテなどあるわけがない。サラ金と同様に支払いを延ばし延ばししているうち、わずかの金が3カ月で100万ほどに膨らんだ。
忘れもしない22才の夏の夕方のこと。パチンコから女の部屋に帰るとマンションの前に3人の男が
車を停めて待っていた。ブランドのスーツにロレックス、そしてゴツイ指輪。カタギじゃない。
「福永さん。オレたちが何しに来たかわるよな。誘拐だと思われたら迷惑だから女に断ってきな」
とっさに部屋の窓から逃げようかと考えたが、顔が割れているのだから逃げ切れるはずはない。言われたとおりアケミに心配しないよう置き手紙を書き、2人の男に挟まれるように後部座席に乗る。無言のうちに車は山の方へ。ヤクザを怒らすと山に埋められるぞなんて聞いたことはあるが、あれはマジらしい。このまま人知れず殺されてしまうんだろうか。木立の生い繁る山中に車が止まると「降りろ」渋々林の中を進むと、ちょっとした原っぱに若い衆が2人スコップを持って立っていた。見れば、彼らの足元に掘ったばかりの穴…。車の男がオレの手足を後ろ手に縛ると、その穴に放り込み、若い衆が遠慮なく泥を被せてくる。地上にクビだけ突き出してボー然とするオレに、格上らしき男が「自業自得だ」と一言。そして周りに生肉のようなものをバラ撒くと全員が引き上げて行った。
「殺されずに済んだ!」
そう思うと心底ホッとしたが、夜更けの地中は温度が低く寒さで体が震えてくる。それになにより、肉の臭いでキツネやカラス、後は何かわからない動物が目の前で肉を食い散らかし、ついでにオレをつつき回すのが死にそうに痛い。一睡もできずに空が白んできたころ、ブルルルと単のエンジン音が聞こえてきた。助かったと思ったオレの前に現れたのは昨夜の若い衆だ。まだ続きがあるのかよと、超マジで泣きそうになった。が、神はオレを見捨ててはいなかった。そのとき降りてきた意外にあどけない顔をした20代と思われる2人は、「殺人者になりたくないから逃げてくれ。どうせ、あんたが死んだらオレたちのせいにされるんだから」と穴からオレを掘り起こし、なんと部屋の近くまで送ってくれたのである。オレはプライドを捨てた。金を貸してくれるならどんなヤシにも頭を下げて1万2万の金をかき集め、都合250万を作ると、ヤミ金の事務所に行って「これで勘弁してくれ」と泣きを入れたのだ。「わかっただろ。うちみたいなところで借りるのは辞めるんだな」
それが8月も終わろうとしていたころの出来事だ。の一件で悪き物が落ちた。いまさら1万2万の競馬などやっても面白くないし、ヤクザ連中と顔を合わせるのが恐いので賭場には行きたくもない。いい機会だ。やり直そうと決心した。タイミングってのがあるようで、ちょうどそのころ親と連絡が取れた。市役所に勤めていた親の知人が、役所の端末を使ってオレがどこに所得税を払っているのか調べ、電話をかけてきてくれたのである。
「本当は違法だから口外しないでほしいんだけど、キミのご両親があんまり心配してるもんだから」
聞いた番号に連絡すると、お袋が電話口で泣き出した。てっきり勘当されたのかと思っていたが、単に親父の転勤で引っ越しただけとのこと。家に戻れば引っ越し先を伝えてくれるよう近所の人たちに頼んで置いたらしい。そこでオレは、札幌の親の家に移ることにした。だが、出直すにしても、借金をどうにかしなくてはならない。女たちに借りた分はともかく、サラ金の200万と銀行からの300。借りた500万強に、利息が付いて800を超える額になっていたのだ。自己破産も考えた。だが破産を申し立ててもオしのようにギャンブルで使うとならないと聞く。破産した上、借金がなくならないではアホらしい。アケミの客に弁護士先生がいたのでいろいろ聞き出してもらうと、時効という手があるという。
「かなり難しいけど」弁護士はそう言ったらしいが、オレはこれしかないと確信した。法律の本を山ほど買い込み研究する。サラ金からの借金は商法第522条の「商事債権」に当たり、時効は5年。その間、双方にいっさいのコンタクトや意思表示などが行われなければ消滅時効が成立するとのこと。つまり、オレが催促のハガキを受け取ったり、電話を受けて「そのうち返します」などと言ってしまえばアウト。時効は中断し、その翌日から再度カウントし直さなければならない。オレはサラ金の申し込みにはアケミの部屋を住所として使用し、住民票も移してあった。が、これを親の元に動かせば、当然、サラ金も追いかけてくるだろう。
「そのままにしておいていいよ、私が盾になってあげる。サラ金から電話が来たら、福永は仕事であちこち行っててしばらく帰ってこないって答えるし」
なぜアケミがそこまでしてくれるのか、聞くのが恐かったので黙ってその言葉にすがることにした。
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