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若者への薬物汚染が社会問題になっているが、オレもクスリにどっぶりハマったー人だ。きっかけは中学時代に読んだ『人格改造マニュアル」だ。カフェインが集中力アップにつがると知り、市販の力フェイン剤を試したら、本当に視界がクリアになった。凝り性な性格が災いしたのだろう。関連本を読みあさり、急速にのめり込んだ。特に愛用したのが咳どめ薬だ。大量摂取すると30分ほどで開放感が押し寄せ、本を読んでもテレビを見ても、面白くて仕方ない。咳を鎮めるコデイン(阿片の成分)と、気管を広げるエフェドリン(覚醒剤の成分)など麻薬性成分のせいらしい。
非合法のクスリにも手を伸ばすようになった。LSDに覚醒剤、エクスタシー。入手先は、近所の公園にいたイラン人だ。卒業後、地元の大学に入ったがー年で中退。なんとか潜り込んだ建設会社も半年も経たず辞めた。クスリの影響で、根気が続かない。フリーターになってからはジャンキーと化し、朝はブロン剤と市販の鎮静剤を飲み、夜は合ドラ。クスリが食えれば、あとはどうでもよかった。が、そんな生活は長く続かず、徐々に自分が壊れ始めた。
春のことだ。バイトもせず部屋に寵もり、サラ金で借りた金でクスリを買う毎日。うつ病に近い状態だった。ある日、どうしようもない激情に襲われパニック状態に陥った。救急病院で応急処置を済ませると、今度は精神病院送りに。コデインを止めると、激しい禁断症状が出るためだ。解毒と称し、手足と腰をベツドに縛り付けられた身動きできない状態で1週間。一般病棟に移ったときには気分爽快、体も軽くなっていた。
精神病院で3カ月療養した後、親の薦めで、関西某市の民間の薬物依存者更正施設『D』に入ることになった。ときどきテレビなどでも取り上げられるDは、薬物依存から回復した者によって運営されるNGO(非政府組織)で、日本各地に20以上の施設を所有、全寮体制で回復プ口グラムを施しているという。
寮に着いたのは午後11時過ぎだった。ただでさえ不安なのに、出迎えてくれた10人ほどの寮生の姿を見てビビった。チンピラ風や労務者風など、自分の周りにいなかったアウトロータイプの人間ばかりなのだ。やっていけるのだろうか。施設スタッフは、リーター、サブリーターの他、30代後半の男性がー人。対する寮生は12人で、3年も暮らしてるおじさんを筆頭に年齢は高め。オレがダントツの最年少だった。寮での決まり事は午前10時、午後2時、4時、8時の4回、それぞれー時間半ずつのミーティンクに参加することだけ。食事や掃除を分担し、クスリに頼らない生活を送ることが第一義の目標である。一見、気楽に思えるが、携帯は入寮前に解約させられ、免許証も財布もリーター預かり。自由になるのは、親が払った月14万の寮費から支給されるー日ー干円の小遣いのみで、スタッフの許可がなくて車は外出もできない。社会から落ちこぼれた薬物依存者を管理するのだから、それぐらいは当然だろう。だが、寮を仕切るサブリーダーは、自分の役職を力サに、ウサばらしのように理不尽な命令を繰り返した。最初が「読書禁止」である。Dが発行するパンフレットにはクスリの文字が溢れているくせに『中にクスリという文字があるから』と持参した本を取り上げた。意味不明なのは、顔を合わせるたび「大学に行ったからってデカイ顔するなよ」と説教を垂れることだ。
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