0203_20190609185739a14_201910061121210ee.jpg0202_20190609185737447_2019100611212054e.jpg0204_2019060918574064c_2019100611212368f.jpg0205_201906091857415b7_20191006112124b42.jpg0206_20190609185743900_20191006112126df8.jpg0207_20190609185744c0c_20191006112127457.jpg0208_20190609185747d98_20191006112129502.jpg0209_20190609185753b7d_20191006112130098.jpg0210_20190609185757988_2019100611213225e.jpg0211_201906091858007a0_201910061121334d7.jpg誰もに納税の義務がある。脱税行為を働けば処罰は免れない。にもかかわらず法を犯す者は後を断たない。なぜこうも企業ばかりが新聞を賑わすのか。答は言わずもがな、国税局の法人調査官が常に目を光らせているからだ。こういうとすぐに「ああ、マルサのことだろ」と思われるかもしれない。
伊丹十三の大ヒット映画マルサの女はマルサの存在を世に知らしめた。が、法人調査官はマルサではない。法人の脱税摘発という目的は同じでも、マルサが対象とするのは脱税額が5千万を超える悪質な企業。調査官の調査をもとに裁判所から礼状を取り、強制捜査に踏み込むのが主な仕事だ。スーツ姿の男たちが段ボールを運び出すシーンはもはやお馴染の光景といってもいいだろう。
私が国税局の法人調査官に成りたての昭和60年当時、マルサの存在はほとんど世に知られておらず、それが映画が公開されるや「マルサなんですね」と声をかけられるようになった。当初はその都度、「私は法人調査官といって・・」といい直していたのだが、すぐにやめた。
脱税摘発に明け暮れる法人調査官としての日常は映画の宮本信子そのもの。そう、私はまさにマルサの男だったのだ。
昭和59年春、私は国家公務員1種の他に、国税専門官採用試験(要は国税局の入局試験)を受けようと考えていた。試験は一般常識と知能試験、論文の3つである。公務員丑種とレベルは変わらない。合格する可能性は十分とみた。果たして半年後、無事に試験をクリア。事前に解いた問題集がたった2、3冊なのだから、もう楽勝である。
が、これがいいのか亜心いのか。税金の知識もなければ興味もない。そんな人間が国税局などに勤めてよいものだろうか。今さらながら不安に襲われる私であった。昭和60年西日本の某国税局に採用され、まずは千葉の船橋にある税務大学校で3カ月間、研修を受けることになった。ここで適性を見極められ、配属先が決定されるのだ。国税局の数は札幌かり沖縄まで全部で12。法人課や酒税課、査察課(これが通称マルサ)など11のセクションに分かれ、さらにそれと横並びする形で税務署が置かれている。税務署も同じく11部門あり、新人はこのいずれかに振り分けられることになっていた。
配属先が決められるとなったら講義も真剣に受けなければ。と、構えていたら何のことはない。教官は「摘発のノウハウは結局、実践で学んでいくしかないから」と一般論しか教えてくれない。居眠りしててもお構いなしだ。緊張は一瞬にして解け、講義が終わると毎日のように遊びに出かけた。気分はまんま大学生である。
「おい、大村」担当の教授に呼び出されたのはそんなバラ色の研修生活が終わる直前の6月下旬のことだ。
内密で配属先を言い渡される
税務署は最初に配属で一生が決まるといわれで最悪なのは"国から雇われた借金取り"と言われる徴収部門。税金を払えない人間から金を取るというのはどう考えてもキツイ。ここだけはどうしても勘弁しでもらいたい。
「こっちへ」担当教授の部屋に入り、直立不動で次の一=量を待った。「君はここね」教授が紙を取り出し私に渡す。
「税務署法人」ョッシャー私は思わず心の中でガッツポーズを決めた。法人部門は会社の脱税を摘発する国税の花形。最も希望者が多い都門なのだ。徴収に回された女性の中には泣き出す者もいたぐらいだから、ラッキーとしかいいようがない。
もしかしてワイロを受け取ってるんじや…
100人とわりと小規模なT税務署の官社は2階建てのオンボロビルだった。署内の壁にはあちこちにヒビが入り、黄ばんだクリーム色をしている。初出社当日、まず総務へ顔を出すと、次に署長室へと案内された。ソファの上には他の同期がすでに3人。緊張した面持ちで座っている
こちらでお世話になります大村です」間もなくやってきた署長に辞令を見せながら挨拶すると、すぐさま配属先の法人部門へ移動。部門の長である西村統括官(仮名)に引き連れられ、今度は署内の各部門へ挨拶回りとなった。「法人部門に配属されました大村です。よろしくお願いします」位牌を掲げるような格好で辞令を持ち、10数回同じセリフをひた繰り返す。その後は歓迎会でしこたま酒を飲まされー日が終了した。
翌日は朝8時30分に出社。まずはお茶の入れ方や机の拭き方を先輩に教わった。税務署は上下関係が非常に厳しい、と研修時代に散々聞かされていたが、実際その通りである。新入りは雑用の一切をこなさなければならない。最初の仕事は、私の所属する法人調査第三部門9人の席地図を作り、人物の特徴を書きこむことだった。雑用に明け暮れ約ー力月。8月下旬になって、ようやく西村統括官から仕事らしい仕事を言い渡された。
「それじゃあ大村くんは、吉川調査官(仮名)について、基本を覚えてくれ」話によれば、新人はまず先輩の調査に同行し、実践を積むのが慣例らしい。
「よろしくお願いします」「じゃあ、行こうか」記念すべき初調査先は塗装業者だった。自宅を改造したような会社の前に先輩と立つと、途端に心臓がバクバクしてくる。
「税務署の吉川と申します」2うぞ、どうぞ」夫人に案内され奥の部屋へ。中ではすでに社長と顧間税理士が待っていた。
「よろしくお願いします」
先輩が社長と税理士に挨拶し、名刺を交換する。それにならって私直琢拶。さあ、いよいよだ。と、身構える私をよそに吉川調査官は、お茶港すすり世聞話を始
める。10分、20分。いっこうに終わる気配がない。何なんだ、この雰囲気は。手始めに事務室の机や金庫の中を調べるはずじゃなかったのか。世間話が30分を過バたころ、ようやく吉川さんが口を開いた。
「じゃあそろそろ始めようか。大村君は、帳簿の中にある請求書と領収書の照合をして」「えっ」「はい、コレね」「いや、あの・・」
とにかく言われた通りにするしかない。10分、20分、・・40分。ひたすら電卓存叩き計算を重ねていく。結局、初日は午後4時までこの作業が続き退散となった。
翌日も、その翌日もまた同じことの繰り返し。拍子抜けするほどあっけない。って、もしかして・
私は疑心暗鬼に陥った。世間から忌み嫌われる税務署がこんな弱腰でいいワケがない。なのに吉川さんは終始ノンビリしている。ひょっとして追徴課税を見逃すかわりに、袖の下を受け取ってるんじゃないのか。心配になり、他の先輩調査官にそれとなく尋ねてみると,「アイツはいつもあの調子だから。お前も自分で勉強した方が身のためだぜ」
が、納税者とシビアなやり取りを強いりれる調査官の優劣は、往々にして知識でなく押しの強弱で決まる。図々しい性格でないと勤まらないのだ。吉川さんじゃ、不正なんかとても見つからないだろう。ちなみに、調査官が一通りの仕事を覚えるのに必要な年数は1~2年と言われていた。それだけで仕事を覚えられるとはなんて楽な職業だ。最初はそう思ったが、逆にその期間内で使い物にならなければ、何年頑張っても同じ。努力や知識より、先天的な要素が求められる厳しい世界なのだ。その後、私は5件ほど先輩と一緒に回ったが、ついに大きな不正を発見することはなかった。
古びた大学ノートに顧客リストを発見
10月上旬、いよいよ単独で税務調査に乗り出すことになった。管轄内の企業数はおよそ3千。黒字企業はその3分のーだ。脱税を摘発するのだから、対象は黒字ー千社の中から選ぶことになる
私は手始めにH建設という10人未満の会社に狙いを定めた。大工の棟梁が弟子数名を社員にした家族企業である。前回の確定申告では年商ー億円、利益30万円、法人税はたった10万円しか納めでいない。おそらく申告漏れが見込めるんじゃないか。上司は私にそんなアドバイスをくれた。電卓、ふせん、調書の用紙、ホッチキス、調査先の資料、税法の解説書、書きやすいボJルペン。調査官の七つ道具をケースに詰め、いざH建設を訪間。そこで私を待ち構えていたのは社長、税務署長出身の大先輩税理士、そして山のような帳簿。初っばなから、国税が相手とは。
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