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自分で自分のチンコをしゃぶってみたい私の1人フェラチオ計画
「ボク、昔は(1人フェラチオ)ができたんですよ」
コピーライターの糸井重里が、とある深夜番組でそういい放った。
ー人フェラチオ。お察しのとおり、自分のチンコを自分で砥めるという、とてつもなくアホな行為である。男性読者の方なら1度くらい想像した経験がおありかもしれないが、よほどのヒマ人でない限り、まず実行しようとは思わないだろうが、当時の私はまさにそのアホなヒマ人だった。
大学に入学してはゃ3年たつも、彼女はおろか友人すら満足にできず、レンタルビデオ屋と一人暮らしのマンションを往復する毎日。今で言うところの引きこもりだ。それでも、湧きあがる性欲だけは一人前で、自分の息子をくわえてもらうシーンを想像してはオナニーに明け暮れていた。そこに突如現れた1人フェラチオ。今考えると狂ってるとしか思えないが、「これなら女も風俗もいらねーじゃん」と、本気で思いこんでしまったのだ。
あらためて説明申し上げると、1人フェラチオとは、自分で自分のモノをくわえることだ。体をいかに柔らかくするかが成功のポイントなのは、容易に想像がつくだろう。しかし、それは私にとって大きな問題だった。1人フエラのコツや上手なやり方など、情報は一切ない。なにより大学で測った立位焦削屈ではF評価、「柔軟性は30代後半並み」と診断されたばかりだ。試しにズボンを脱いで体を前に倒してみると、口からチンコまでは気が滅入るほど遠い。実際の距離は17センチ程度だからそれほどでもないだろう。しかし、当事者にとっては、やまびこが返ってきそうなほど遠く感じられた。まったく絶望的な気分である。糸井のヤツめ、笑いが欲しくてホラでも吹いたんじゃないか。ただ、このままあきらめてしまえば元の暗い学生生活に逆戻りである。自分自身に渇を入れるためにも、ここで挫折するわけにはいかない。
ならばどうするか。私はまず柔軟体操かり試してみた。座った状態で足をのばし、つま先に手をさしのべて前屈するだけの、いたってノーマルなものである。しかしこれは1日で見切りをつけた。ふくらはぎに走る痛みを我慢しながら、自分の意志で体を曲げ続けるには、相当の信念が必要とされる。さらに、人間の体は足をのばしたまま倒していくと、口はフトモモの辺りに到達することに初めて気づいた。チンコをくわえるためには、腰と背骨を同時に曲げ、ダンゴムシのように丸まらなければいけない。これまた難問だ。そこで私が目をつけたのがヨガである。
3千年も昔から存在する呼吸、整体テクニックだ。1人フエラチオに応用できる方法論ぐらい確旦されずして、どうしてその歴史を誇示できようか。私は、座ったまま右足を肩まで持ち上げ、首に回してみた。本来は両足を使うのが正しいのだが、体が硬いのでどうしようもない。ま、片足だけでも、足の重みに押されて背骨は曲がるだろう。さあ、待っていろ。我がチンコよ。が、あっけなく失敗した。確かに背骨は曲がるものの、そうすると今度は腰が折れない。首だけが異様に傾き、自分の乳首に吸い付きそうな勢いだ。それはそれで気持ちいいだろう。ただ、「1人授乳」は今回の趣旨に反する。オレがやりたいのは1人フエラなのだ。
己の意志とは無関体を曲げる方法
とにかくこれで2連敗。それでも私は悲観していなかった。足の重みで体を曲げるという、ョガの考え方自体は間違っていない。そこで思いついたアイデアがあったのだ。これまで私は「頭をチンコに倒す」ことに全力を注いできた。しかし、その方法にこだわる必要はどこにもない。チンコを頭のほうに倒したっていいではないか。仰向けの姿勢で両足を天井に持ち上げ、そのまま顔に向かって倒す。チンコは自動的に降りてくるだろう。ただし、それだけでは重量が足りないおそれがある。しばらく考えたあげく、コンビニのビニール袋に辞書や漫画を詰め、両足にひっかける作戦を採用することにした。これで、自分の意志とは無関係に体が曲がるはずだ。今度こそイケるー意気込みも新たに、私はさっそく実行に移した。思ったとおり、チンコがジワジワと顔に近づいていく。10センチ、9センチ、…6センチ。そして次の瞬間、私は思わず叫んでいた。
すんでのところで重りがスッポ抜けた。バランスの悪い仰向けの状態でぶら下げていれば、少し体を動かしただけで、激しく揺れてしまう。そうなれば、とても片足1本ではコントロールしきれない。結果、ビニール袋が外れるか、全身が横倒しになってしまうのだ。それでも何度か再挑戦を試みると、以降はバランスを取ることばかりに集中してしまい、チンコどころじゃなくなった。チクショー。唯一の救いは、度重なる失敗がまるっきり無駄に終わらなかったことだ。私は1人フェラチオを達成するには、以下2つの条件が必要だと結論づけた。
1・本人の意志とは無関係に体を曲げられる
2・背骨の曲がり具合をしっかり固定できるしかし、そんな夢のような方法など見つからず、なんら打開策のないまま私は半月ほど空虚な時間を過ごしたのだった。
箱の中に体を押し込んだらどうか
身体の硬い人間に1人フエラチオなど毎謀なのか。半ばあきらめかけた矢先、私はまたしてもテレビに救われることに。ヒントは中国雑伎団のドキュメンタリー番組に隠されていた。中国雑伎団とは、ご存じのように世界中でショーを開催する芸能集団である。彼らが持つ大量のレパートリーの中に、7歳ぐらいの少女が直径30センチ程度の小箱に折り畳まれる演日があった。それが画面に流れたとき、私の目は釘付けになった。体を箱に押し込んでしまえば、自分の意志など関係なく曲がる。四方は頑丈な板だから、背骨を曲げたまま固めることも可能だ。さすが中国。ョガより1千年長い歴史はダテじゃない。
テレビの中で興奮している芸能人を尻目に、私は別の意味で高揚していた。作戦は非常に単純なものである。まず、長方形の箱を木で作り、尻から体を押し込む。それに慣れたら一回り小さな箱を作り、再び中へ。あとはそれを繰り返し、気がついたときには口がチンコに届くという寸法だ。どうだ、完壁だろ、つ。翌日、私は材料を仕入れるため、東急ハンズへ向かった。体を固定するにはどれだけの強度が必要なのかわからない。手頃な値段のベニヤ板を数種類購入し、帰宅後、さっそく箱の製作にとりかかった。天性の引きこもり人間が、精を出すなんて異様な光景である。しかも、作っているのは「1人フエラチオ養成箱」。無心にクギを打つ自分の姿に何とも言えぬ悲壮感を感じる。
箱の寸法は、前屈したときの肩からフトモモ下までの距離を目安にした。とりあえず高さは50センチ。奥行きは、尻がスッポリと収まる45センチ。材料には、5ミリ厚のベニヤを使用する。慣れない作業にてこずりながらもようやく第1号を完成させたのはー時間後のことだ。やけにドキドキする。こんな怪しい高揚感を味わったのは、初オナニー以来である。さっそく私はズボンを脱ぎ、パンツ姿で尻から箱に入った。-・・…。なんというフィット感。ヤドカリのような姿を想像してもらえばわかりやすいか。体はチンコの方向へ折り畳まれ、ゆるやかに曲がった背骨もベニァ板がガッチリとサポートしている。「これまでの方伝とは格が違う」私はこの木箱にすべてを賭けてみることにした。
第1号の完成以降、私は毎日約2時間を箱の中で過ごした。それ以上入っていると、さすがに腰と
背中がギスギス痛み出す。当初はこれに耐えきれず、スポンジを敷き詰めるなどの工夫を施したが、3週間もするうちに苦痛はなくなった。そこで再びハンズへ出向き、前回より2センチ低い、高さ娼センチの箱をこしらえた。身体を収めると少し窮屈である。くくくつ。いい感じだ。箱に入ってる間はカンフー映画やB級ホラー映画でヒマをつぶした。もちろん、ときおりAVでチンコを勃起させ、口との正確な距離を計測するのも忘れない。オカズにはエロ本も使ったが、これには問題があった。体が柔らかくなるにつれ、本を置く位置が難しくなってきたのだ。太ももの上に置けば近すぎて見えないし、脚の横に並べればクビが回らない。言い換えればそれほどまで私の身体は柔らかくなっていたのだ。気が付けば半年が過ぎていた。この時点での木箱は第4号。高さは44センチだから、依然として口とチンコの問にはまだかなりの距離がある。ー人フェラチオまで、あとどれくらいの時間が必要なんだろう。気の遠くなる苦行に不安タ掌える反面、この頃から万箱"は生活の一部と化し、さらに半年間、私は何の疑問も感じないまま第8号まで続けた。そんなある日、ふと第1号を見比べてみた。と、これが異常に大きく感じられるではないか。ついにここまで来たのだ。そして運命の日がやってきた。いつものように箱へ入った私は試しにチンコへ舌を延ばしてみた。と、これが何だか届いてしまいそ、つなのだ。気合いを人れ、アゴの筋肉をつっぱりながら、極限まで絞り出す。あと少し。もつちょい。「えいっー」あっ。わずかだが、亀頭にザラッとした感触を感じた。ある程度の予感があったので、驚きは少なかったものの、やはり口元が緩む。ぱっと見、目標まで残り2センチ。一回り小さな箱を作れば、いよいよくわえられるに違いない。「勝てる」確信を持った私は明日の大一番に備え、眠りについた。
なぜだ?なぜイケないんだ
前回より3センチ縮めたものを組み立てれば、まず間違いないだろう。これが最後の箱作りかと思うと、クギを打つ手にも自然に力が入る。高さ33センチの第9号が完成したのはお昼時だった。私は逸る気持ちを抑えてわざわざファミレスへ出かけ、ゆっくり食重妻摂りながら自分をじらした。「ではいくか」討ち入り前のような心境で自宅に帰った。そして、ゆっくりと、慎重に第9号へ身か沈める。腰はそれほど辛くない。あとは覚悟を決めて一気に体を倒すだけだ。勢いをつけて、私はパクッとチンコをくわえこんだ。さらに、そのまま舌を使ってみる。「・・・一・b・・…ん?己なにかが違う。妙な違和感があるのだ。チンコの威健反が100分の1以下に下がったというのか、舌の感触は感じられるものの、目の細かいサンドペーパーのようで
滑らかさのカケラもない。ど、つい』つことだろう。私は焦りに焦った。へタをすれば、この1年がすべて無かったことにされてしまう。それだけはカンベンしてほしい。が、願いむなしく、吸えど砥めれども一向に気持ちよくならない。パニック状態のまま、私は一時箱から抜け出した。親のセックスを目撃したとき以来のショックだ。冷静になって考えてみると、ある現象が頭に浮かんできた。「足の裏」だ。他人がやるとくすぐつたいのに、自分でくすぐるとなんでもないというあの状態。この法則は首筋や脇腹などにも適用司能だが、まさかフエラチオまでそうだとは想像もつかなかった。もちろん、視覚的な影響も大きいだろ』つ。フエラチオは、女性が自分のモノをくわえている状況に興奮する技術である。ところが1人フエラチオでは、目に写るのは自分の陰毛のみ。これで興奮できる男は、いろんな意味で問題があるだろう。しかし、あーだこーだ説明をつけたところで、とても納得はできない。
「1回ぐらいはヌきたい」そう思うのが人情ではないか。大プロジエクトなのだ。私は「せめて一回」と念仏のように唱えながら、再度フエラチオ箱へ入った。今度はエロビデオを流し、音声だけでも雰囲気を作ることを心がけた。これならイケるかもしれない。はたして、相変わらずチンコは感度悪いが、初回より気分は盛り上がった。ブスしかいないボッタクリヘルスでも、イクときはイってしまう勇の悲しい性ってやつか。自分のチンコを執念深く攻め続けていると、ようやく射精感が近づいてきた。が、そこから先が進まない。チンコ自体は爆発なのに、新たな違和感に邪魔されてしまう。例えるなら、小便を耐える状態がひたすら続く感じだ。イクときの、あの揮れる大波はやってこない。私は再びパニックに陥った。理由は定かではないが、もはや対処しようがなかった。しかたなく箱から出て座り直し、エロビデオを見ながら手でシコシコ…。って、これじゃ単なるオナニーじゃんかー
★不幸の原因は後日判明した。そもそも射精というものは、フトモモの裏、肌門周辺、背中などの各筋肉を総動員して、精波を絞り上げる現象らしい。体を折り曲げた姿勢では、それらの筋肉がすべて伸ばされるので、力を入れることが不可能となる。これではとても射精などできない。まったく人体の神秘に翻弄されっぱなしだ。こ、つして、私の1年間に及ぶ挑戦は終わった。「自分のチンコを自分の口でくわえる」という目的は達成したので、ある意味成功と者マえるかもしれない。しかし、この寂しさはなんだろう。明らかに敗者の感情だ。試合に勝って勝負に負けたというやつか。最後に残ったのは、第1号から9号までの木箱だけである。翌日、私は粗大ゴミ置き場に木箱を投げ捨てた。それを1人フエラチオのために作られたとも知らず、回収していく清掃作業員。その姿を見て、ちょっとだけ泣いた。
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